ピリピ人への手紙、テサロニケ人への手紙

 今日は、喜びと感謝について考えましょう。

1、ピリピ人への手紙

 パウロはローマで上訴審開催を待っており、拘留状態にありました。そこに、エパフロデトがピリピ教会から献金を持って来て、生活の足しにして下さいとパウロに渡してくれました。(ピリピ4:18)パウロはそれをものすごく喜んで、感謝の手紙を書きました。それがピリピ人への手紙を書いた直接の理由です。

それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。(ピリピ1:20~21)

生きていても喜び。死んでも喜び。自分を通してキリストが明らかにされるなら、どちらでも構わないとパウロは考えたのです。日常生活に左右されない別次元の喜びをパウロは持っていました。
主イエスに愛されていること、主イエスの十字架で罪が赦されたこと、天国にいけること、罪深い私と共に主イエスがいてくださること、欠けの多い私を通してキリストがあがめられること、使命が与えられたこと、それらが喜びの源泉でした。

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:4~7)

主にあって喜びなさいとパウロは何度も言いました。喜ぶか喜ばないかは、あなた次第です。主にあって喜ぶとは、生き方の選択です。あなたの心のカーナビを、喜びという方向にプリセットするのです。
多くの人は、不幸の原因を他人や環境のせいにしています。そういう人は一生不幸です。

教会に通う前の私は、毎朝不機嫌でした。前夜は運動部の疲れで夕食後はうたた寝して、夜中に置き出して夜更かしし、朝方自分の目覚まし時計では起きられず母に起こしてもらっても起きず、寝坊すると母親のせいにして「遅刻する!」と怒鳴りながらドアを思いっきり閉めて駆け出した高校生でした。私は他人のせいで不幸だと思い込んでいましたが、それは間違いでした。

出かける前に鏡の前で見だしだみを整えるように、一日を始める前に自分の心を整えることが、主にあって喜ぶことです。

 物事に左右されない喜びを身に着けるために、祈りが必要です。思い煩わずにまず祈ることです。他人の物まねのような笑顔を作るのではなく、自分らしい、心の穏やかさを持った、人生を肯定的にとらえる姿勢を整えるのです。それが、主にある喜びです。

 ヘドロの沼になってメタンガスを出すか、鮎が泳ぐ清流になるかは、それはあなたの心がけ次第です。さあ、周囲に影響されない自分、不幸を他人のせいにしない自分を作りましょう。主にあって、喜んでみましょう。



2、テサロニケ人への手紙

 私たちが、テサロニケ教会から学ぶ点は、迫害下でもくじけない心です。
パウロは通常、手紙の最初で各教会の信仰と愛を賞賛しますが、テサロニケ教会の場合、信仰と愛に加えて「忍耐」に言及しています。

私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。(第一テサロニケ1:2~3)

 テサロニケの教会は、パウロが伝道した当初からユダヤ人による迫害が起きました。(使徒17:1~15)パウロに反対するユダヤ人は、町のならず者を利用して暴動を起こしたり、クリスチャンの家を襲わせました。クリスチャンになった瞬間から、苦難の人生が始まりました。テサロニケの人々はそんな中でも信仰告白し、周囲の人にイエスさまの福音を伝え(第一テサロニケ1:8)、信仰に堅く立っていました。(第一テサロニケ3:7~8)迫害の苦しみは、「神の国のため」(第二テサロニケ1:5)なのです。

 テサロニケのクリスチャンは、暴力や差別、あざけり、経済損出などを経験していたので、主イエスが再び地上に来られる日を強く待ち望みました。そうした信仰が暴走して、主イエスが来る前にクリスチャンは死なないという間違った理解が生まれ、死んだ仲間を見て落胆した人が出たので、パウロは主イエスの再臨を説明しました。

 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(第一テサロニケ4:16~17)

 主イエスの再臨に気を取られ過ぎて日常生活がおろそかになる人も出てきたので、落ち着いた生活を心がけ、きちんと仕事をしなさいとパウロは教えました。(第一テサロニケ4:11、第二テサロニケ3:11~12)さらに、そんな困難な状況だからこそ、喜べ、祈れ、感謝せよと励ましました。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(第一テサロニケ5:16~18)

喜びを選び取り、祈ってゆだね、物事のポジティブな面を見つけましょう。そうすれば環境に左右されず芯が強く穏やかで自分らしい心を身に着けることができます。

 
→あなたの番です
 □主にあって喜びましょう
  □苦しい時こそ、感謝を見つけましょう