エペソ、コロサイ、ピレモンへの手紙


 エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙は、同じ頃パウロによって書かれました。この3つの手紙は紀元60年ごろ獄中で書かれ、テキコによって運ばれました。(エペソ6:21~22、コロサイ4:7~9)エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙は構造も内容も良く似た双子の手紙です。前半部分は教理、後半は実践部分になっています。

 正しい事をしたい、人に親切にしたい、悪に負けなくないと願う人は、自分の弱さに直面し失望します。ガソリンの無い車を走らせているのと同じだからです。神から霊的祝福を受け取るなら、人を愛すことが可能になります。



1、霊的祝福

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ1:3)

 主イエスを信じた者には、霊的祝福が与えられます。霊的祝福を、私なりに言い換えてみるとこうなります。神しか与えることのできない恵み。生きる力を後押しする励まし。本来の自分に戻れるさわやかな風。みんなが望んでいる心の平安と満足。
私たちクリスチャンは、霊的祝福を静かに確認し、味わい、感謝することが必要です。霊的祝福をかみしめた者だけが、愛と正義と聖さを実現できます。

すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。(エペソ1:4~7)

 4~7節で、霊的祝福が説明されています。永遠の昔に私たちは選ばれた、神にずっと愛されていた、ひとり子イエスさまの血が流されて私たちの罪が赦された。

神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。(コロサイ1:13~18)

 コロサイ人への手紙においては、霊的祝福に続き、主イエスの神性が語られています。主イエスは、いつくしみ深い救い主であるだけでなく、永遠の昔から存在された偉大な神、世界の造り主なのです。その力強い主イエスが教会のリーダーなのです。このような主イエスだからこそ、霊的祝福を注ぐことができるのです。

 神に選ばれ、愛され、罪を赦され、神の子とされ、永遠の命が保証され、聖霊が与えられていることを味わい、感謝しましょう。



2、日常生活に生きる信仰

 霊的祝福が与えられたので、私たちの生活は変わります。霊的祝福を知り、神に愛されている事を確認し、創造主イエスと共に歩むなら、悪い行いを止め(エペソ4:30)、「光の子ども」(エペソ5:8)らしく歩み、古い人を捨てて新しい人を着る(コロサイ3:9~10)ようになれます。同情心を持ち、寛容になり、互いに赦しあい、(コロサイ3:12~13)、キリストの言葉を大切にして神を賛美できるようになります。(コロサイ3:16)

 パウロは、エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙の後半において、家庭を論じました。家庭は、普段着の場所、疲れたり我がままになったりする場所です。そこでこそ愛が育ち、信仰を実生活に生きるのです。

妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。(エペソ5:22~27)

 妻は夫に従う。夫は妻を愛す。これはとても難しいことですか。いいえ、そうではありません。結婚前の二人は互いに実行してきました。だから、二人の愛は深まったのです。新しい気持ちで実行すれば、二人は再びラブラブになります。

 パウロは最初に、最も重要な夫婦関係を取り上げ、次に親子(エペソ6:1~4)、さらに奴隷と主人の関係(エペソ6:5~9)を語りました。家庭で思いやりを示し、職場で同僚を大切にするなら、社会は変わていきます。
 霊的祝福を注がれた人は、優しい人になります。今週、優しい人になりましょう。

 「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)



3、ピレモンへの手紙

 最後に「ピレモンへの手紙」に触れます。この手紙はパウロの手紙で最も短く個人的です。逃亡奴隷のオネシモを主人ピレモンのもとに返すため、パウロは一肌脱ぎました。パウロが人に優しくした一例です。

むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。(ピレモン9~12)

 獄中にいたパウロはオネシモと出会い、彼を救いに導き、信仰訓練を行いました。オネシモの将来を考えると、主人のもとに返すのが最善と考えたのです。当時、逃亡奴隷は死刑でしたが、主にある兄弟として受け入れ直してほしいとクリスチャンの主人ピレモンに懇願し、オネシモが盗んだお金を弁償する(18~19節)と書きました。
 パウロがしたことは、主イエスが十字架で私たちのためにして下さった事に良く似ていますね。

 ある高校3年生女の子が、公民館の学習室で夏休みに勉強していました。受験のストレスで、家族に当たることもありました。その日、朝9時の開館時間になっても掃除のおばさんたちはおしゃべりしながら掃除を続けていました。不機嫌になってドアの所に立っていると、一人のおばさんが「その椅子、座っていいよ」と言ってくれました。早くいなくなって欲しいと思いながら彼女は勉強を始めました。しばらくすると、おばさんたちは部屋から出て行きましたが、一人のおばさんが残りました。「大学を目指してるの」と聞いてくるので、「いいえ、専門学校です」と答えました。「そうか、専門学校ね。頑張ってね」と言っておばさんはむこうを向きました。そして、窓をふきながらこう言いました、「がんばれ、がんばれ、がんばれ、がんばれ。」それを聞いて、胸が熱くなり、心の中で何かが解けて自由になり、涙が込み上げてきました。4回、応援してくれた言葉が嬉しかったのです。

 主イエスは、霊的祝福で今もあなたを応援しています。
 霊的祝福を受けた人は、人に優しくなります。あなたが応援したい人は誰ですが。今週、その人に優しい言葉を言ってあげましょう。
 

 →あなたの番です
  □霊的祝福を確認し感謝しよう
  □家庭や職場で、優しい人になってみよう