ペテロの手紙 第一、第二


 新約聖書の人物で誰に会いたいかと聞かれたら、私はペテロと答えます。
ペテロは漁師だったので日焼けした顔で、深く刻まれたしわがあったかもしれません。素朴な語り口、穏やかなまなざし、迫害で受けた傷跡、自分の失敗を語る率直さ、が想像できます。

文は人なりと言いますが、60年代に書かれたペテロの手紙には、ペテロの人柄がそのまま表れています。パウロのような論理的アウトラインはありません。トルコ半島に住むクリスチャン(第一ペテロ1:2)を心に思い描き、祈りつつ、迫害に苦しむクリスチャンを励まそうとして書いた手紙です。手紙のあちこちに、主イエスと過ごした思い出話が出てきます。(第一ペテロ1:7、2:4~8、2:21~15、4:12~14、5:1~2、第二ペテロ1:16~18)

ペテロの手紙のキーワードを3つチョイスするとしたら、①選び、②救い、③神の似姿を挙げることができます。


1、選ばれている
父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。(第一ペテロ1:2)

 神が私たちを選んだことを心に留めよ。ペテロはそう言いたいのです。

 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(2:9)

 主イエスがペテロを十二弟子に選んだのはなぜでしょう。それは、主イエスが昇天された後、主イエスの働きを継承するためでした。私もあなたも、「選ばれた種族」です。主イエスがして下さった素晴らしいみわざを周囲の人に述べ伝えるために選ばれました。福音を「いつでも弁明できる用意」(3:15)をしておきましょう。
 私たちも選ばれています。何のために選ばれたのか、よく考えて行動しましょう。

2、救われている

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。(1:8~9)

 主イエスに会ったことのない人々が主イエスを愛していることを、ペテロは素朴に驚きました。主イエスを直接見ていないのに主イエスを信じている人々をペテロは心から喜びました。彼らの姿に、ペテロは救いの印を見ました。
 主イエスを信じたゆえの地上における救いだけでなく、天にたくわえられている救い(これから体験する素晴らしい恵み、受け継ぐ資産)があるとペテロは言いました。

 私は、ジグソーパズルが好きです。1000ピースのパズルを妻と一緒に楽しく作っています。カチッと入ったときは楽しいです。なんといっても、ジグソーパズルは完成すれば必ず美しい写真なり絵が現れるので安心して取り組めます。
 救われた人には、最後には救いの完成が約束されています。永遠の命が与えられ、朽ちない霊的資産がもらえるのです。

 救いがあると分かった人は、この世の小さなことに一喜一憂しなくなります。自分の終わりが分かっているので、じたばたする必要がありません。それで、損しても正しいことをしたり、苦労して人を助けたり、愛したりできます。また、上に立つ権威を尊敬して生活できます。(2:13)信仰ゆえの不当な苦しみを負う時も耐えることができます。(2:21~24)

あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(2:21)

「道路に落としたゴミが多すぎて女子校生が拾い集めきれない、助けてあげてほしい」という電話を受けた日本の警察官が現場に着きました。夕方、日の落ちた県道で作業をしていた女子校生に尋ねると、誰かが落としたごみが散乱していたので拾い始め、自転車カゴには入りきれなかったので、コンビニでごみ袋を買って来て入れていたというのです。彼女は、当たり前と思ってゴミを拾った、と答えました。

当たり前、無意識、醸し出す雰囲気。そこに価値があります。主イエスに救われた人の心に主イエスが住んで下さるので、ごく当たり前に愛や正義や謙虚さがにじみ出てきます。それが付け焼刃でない本物です。
今週、救われているゆえの、当たり前の行動をしたいですね。

手紙を書いた頃のペテロには、信仰者としての年輪、主イエスを愛しているゆえの輝き、御霊による聖めの香りなどがにじみ出ていたことでしょう。

3、神の性質にあずかる者
 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。(第二ペテロ1:4)

 ここに、私たちが「神のご性質にあずかる者」になれるという約束が書かれてあります。

 この約束があるので、聖さを求める生き方が空しくなりません。(1:15~16、第二ペテロ3:14)夫や妻は互いに尊敬し、愛し合うことができます。(第一ペテロ3:1~7)兄弟愛を働かせ、謙虚に生きることも可能です。(3:8)主から頂いた賜物を用いて、奉仕し互いに仕えます。(4:8~11)

あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。(1:15)

こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。(4:2)

今から40年以上も前のことですが、ウイリアム・ニガンダというアフリカで有名な伝道者がいたそうです。アフリカでミニストリーをしていましたジム・ホワイトは、ウイリアム先生の噂を聞いていました。伝道集会などでウイリアム先生が講壇に立つと多くを語らないうちに心を刺され悔い改める人が出る人で、「神の人」という評判の高い人でした。
ナイロビで車を運転していたジム夫妻はウイリアム先生を見かけ、車に招き入れてしばらく話す機会がありました。ウイリアム先生は、後部座席にいた5歳の女の子に、「お嬢ちゃんのお名前は?」と尋ねました。「バレリー」と答えると、「バレリーは、イエスさまを愛しているかい」と聞きました。「うん、まあね」と答えました。しばらくして先生と分かれたジムの家族は5分間、誰も口をきけませんでした。ウイリアム先生との会話で受けた温かい感動が圧倒していたのです。その後、やんちゃ盛りのバレリーはお母さんにこう言いました。「私も大人になったら、神の人になりたい」


 主に選ばれ、主によって救われ、神のご性質にあずかる者と約束された私たちは、普通の人とは違う「当たり前の生き方」が始まりました。
 身近な人を愛す。仕事で正義を選ぶ。汚れを離れ聖さを求める。困難の中でも、忍耐し、信じ、仕え合う。それがごく自然にできるようになりたいです。


 →あなたの番です
  □選ばれ、救われ、神に似るようにされたことを感謝する □人生のどんな時も、愛と聖さを実行し、福音を伝えていこう