ヨハネの手紙第一、第二、第三、ユダの手紙


 物事をはっきりと言える人は、本質を理解している人です。十二弟子のひとり、ヨハネは短いセンテンスではっきり言い切る人でした。
 ヨハネは手紙の中で、神がどんな方かを教え、主イエスを信じたものが何を持っているかを説明し、主イエスを信じた者がどう生きたらよいかを示しました。まるで、神を網羅的に説明したリスト、クリスチャンの生き方を示したマニュアルのようです。

1、教会を守るヨハネ

 ヨハネの手紙第一、ヨハネの手紙二、ヨハネの手紙第三、ユダの手紙、この4つの手紙には、教会を守るという共通テーマがあります。
 間違った教えに傾くな、邪悪なリーダーシップを排除せよと教えています。

迫害は、教会の外から攻撃して教会を潰そうとします。一方、間違った教えや邪悪なリーダーシップは教会内に巧妙に入り込むので注意が必要です。牧師だけでなく、信徒も教会を守るように招かれています。

というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。(ユダの手紙 4節)

私は教会に対して少しばかり書き送ったのですが、彼らの中でかしらになりたがっているデオテレペスが、私たちの言うことを聞き入れません。(ヨハネの手紙第三 9節)

なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです。(ヨハネの手紙第二 7節)

教会が間違った教えを信じるようになれば異端になります。牧師や教会役員が独裁者のように振舞えば宗教カルトになり、教会員が被害者になります。

 純粋な信仰を守るため、聖書をまんべんなんく読み続けましょう。邪悪なリーダーシップにノーと言える健全さを持ちましょう。



2、主イエスを紹介するヨハネ

 この頃、ヨハネは80歳くらいになっていたかもしれません。ヨハネの手紙第一の内容は、だいたい3節ごとに区切ることができます。老聖徒ヨハネは、心に浮かんだ事柄を短く言い、違うテーマに移り、また同じ内容に戻る形で話を進めました。

 「神はどんな方ですか」と質問されたら、ヨハネはこう答えるでしょう。神は、いのち、真理、愛。

初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。(ヨハネの手紙第一 1:1~4)

上記のみことばを読むと、神はいのちであり、イエス・キリストの本質もいのちだと分かります。いのちとは何でしょう。いのちとは、つながっていること、流れていること、止まっていないこと、交流があることです。

ヨハネは、信仰を<私―キリスト>という点と線として理解していません。むしろ、三位一体の神の輪の中に、ヨハネが加わり、その輪の中に私達を入れようとしています。主イエスを信じることによる、私たちは神とのつながりに入り、神のいのちをもらえるようになります。人は、神とつながることによって、本来のいのちを回復します。

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。(1:5~7)

 ヨハネは、神は光です。暴力団が明るい陽射しの中でピクニックするのは似合いません。悪事は暗いところでします。神は光で、嘘がなく、罪がなく、きよさがあります。主イエスを信じた者も、罪が赦され、神の光の中を歩むようになるので、正義を選び(3:7)、キリストに似た者に(3:2)されていきます。

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。(4:7~11)

上記のみことばを読むと、神の本質が愛だと分かります。愛のない者には、神は分かりません、神は愛だからです。神は、無条件であなたを愛しています。あなたが気づかなくても愛しています。その証拠は、十字架を見れば分かります。

神はいのちです。光です。愛です。だから、主イエスを信じた私たちも、神との交流でいのちをもらい、光の中を歩み、互いに愛し合うことができます。


→あなたの番です
 □守るべきものを守ろう
 □神はいのち、光、愛です。 □いのちを喜び、光に歩み、愛し合って生きていきましょう。