マタイ1:18~25 ヨセフの勇気

 ヨセフがいなければ、クリスマスは無かったかもしれません。


1、絶望

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。(マタイ1:18)

「その母マリヤはヨセフの妻と決まっていた」とあります。ヨセフとマリヤは、正式な婚約期間に入っていました。当時のユダヤの習慣では、婚約した男女はすでに夫婦とみなされました。マリヤは、天使ガブリエルの言葉を聞き、聖霊によって身ごもったことを知り(ルカ1:26~36)、妊娠の事実を婚約者のヨセフに告げたのでしょう。

夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。(マタイ1:19)

ヨセフは「正しい人」だったので、激しく悩み、混乱し、絶望しました。ヨセフには二つのチョイスがあったのです。
一つは、マリヤをふしだらな女性として公に訴えることです。そうすれば、マリヤは死刑です。もう一つは、内密に婚約破棄することです。マリヤは生きて行けます。でも、ヨセフは何も説明できません。すべてを胸の内にしまうことになります。

ヨセフはマリヤを信頼していたし、愛していたのでしょう。でも、マリヤの口から聞いた説明は信じられません。若いヨセフが悩んだ末に出した結論は、マリヤを内密に去らせることでした。ヨセフの心は定まり、今後の方針を「決めた」のです。ヨセフは勇気ある決断をしました。男です。

物事には、あれか、これかの二つではなく、人間が及びもつかない第三の道があります。ヨセフはこの時、第三の道、神の道があることを知りませんでした


2、恐れ

彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。(マタイ1:20)

内密にマリヤを去らせると決めても、まだヨセフは思い巡らしていました。つまり、決断がぐらついていたのです。納得できなかったのです。

聖霊による妊娠というマリヤの言葉を信じたいのですが、恐れがあって前に進めません。そんな事は聞いたことがない。ありえない。世間の人は何と言うだろう。ヨセフは騙された、まぬけな亭主だと噂するかもしれない。

そんな時に、天使が夢に現れました。第三の道を伝えに来たのです。

「ダビデの子」と天使が呼びかけ背後に深い意味がありました。ヨセフ、あなたは自分がダビデの子孫だという自覚を忘れたのか。まことの救い主は、ダビデの家系からしか生まれない。ヨセフ、あなたはダビデの子孫、ダビデの子だ。

「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」と天使は言いました。
ヨセフ、あなたは何を恐れている。人の目、社会の批判を恐れているが、恐れよ止めよ。神が全責任を取るという時に、神は「恐れるな」と言われます。

本当にマリヤを愛しているなら、彼女の言葉を信頼しなさい。あなたが信じないで、誰が信じるか。マリヤが誠実で、嘘のない人だとあなたは知っているはずだ。今こそ、マリヤを迎えなさい。恐れるべき方を恐れなさい。神に不可能はない。マリヤの胎に宿っているのは、聖霊による。あなたは、神に選ばれた。神の信頼に応えなさい。恐れを捨てなさい。神は、将来にわたってずっと、あなたと共におられる。


3、救い主

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)

生まれる子供が男の子であると天使は明言した。名前は、「イエス」という名にするよう天使は命じました。その名の意味は、当時誰でも知っていました。「イエス」は、「主は救い」を意味しました。

主イエスは、ご自分の民をその罪から救うために生まれる方です。

このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイ1:21~23)

この福音書を書いたマタイは、マリヤの妊娠について旧約聖書的な解説を挿入しています。ヨセフよりも700年前に活躍した預言者イザヤが、処女から生まれる救い主を予告していました。イエスというお方は、わたしたちと共におられる方です。

ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。(マタイ1:24~25)

ヨセフは、主の使いの言葉をそのまま受け止め、妻を迎え入れ、御使いの言った通りに、子供が生まれるとイエスとなづけたました。

聖霊による妊娠は、アクシデントや偶然ではなく、神の必然、神の予定だったのです。マリヤを訴えるという道ではなく、また、内密に婚約破棄にするのでもない、マリヤを正式な妻として迎え結婚する道があったのです。これが、第三の道、神の計画なのです。神の計画を歩むこと、それこそが、神の栄光を表す人生です。

2003年10月31日の朝、13歳のベサニー・ハミルトンはハワイ州カウアイ島のハエナビーチにいました。
クリスチャンの両親に育てられ主イエスを救い主として信じていた彼女は、本格的にサーフィンのトレーニングを受けていました。その日も、サーフボードに横たわり左手だけを海の中に入れて良い波が来るのを待っていました。突然全身に電気が流れたようなショックを受け、辺り一面は血の海になりました。巨大なサメがベサニーの左腕をボードと一緒に食いちぎったのです。神さま、岸まで帰れるように助けて下さいと祈りながら右手でパドリングをして岸を目指し、救助され、緊急手術を受けて命を取りとめました。
クリスチャンの友人はベサニーにエレミヤ29:11の聖書の言葉を届けました。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
ベサニーは、サメに襲された事故を神の計画と受け止め直しました。翌11月、事件から1か月後の感謝祭の前日、ベサニーは再び海に立ち、サーフィンを再開しました。二年後、ベサニーは全米大会で優勝、4年後にサーフィンのプロになり、6年後世界ジュニア大会で準優勝し、現在は結婚して子供もいます。
彼女は言います、私のことを見て勇気を感じてくれる人がいたら、左腕を失ったことは無意味ではなく、神のご計画があったと分かると。

ヨセフは、第三の道に目覚めました。事故や災難に思えた出来事が、神の計画だと分かったとたん、神の計画の中を歩む幸いに気づき、勇気が与えられました。救い主イエスの誕生は、絶望と恐れを乗り越えたヨセフによってもたらされたのです。

船は港にいれば安全だ。けれども、船はそのために作られたのではない。

あなたの番です。あなたは、今日、絶望していますか。恐れを持っていますか。人生には、人間が考える範囲内のあれかこれかの二者択一ではなく、神の切り拓かれる第三の道があります。神の計画として引き受けて下さい。主に信頼して、あなたという船を大海原に出航させて下さい。イエス・キリストは、どんな時もあなたと共におられるインマヌエル、救い主です。

「神は私たちとともにおられる」(23節)

→あなたの番です
 □絶望と恐れにつぶされない
 □絶望と恐れを突き破る神の計画を信じましょう