マタイ4:17~25  主イエスについて行く


 今年のテーマは、「ついていきます、イエスさまに」です。一年を通じて、マタイの福音書を学んでいきます。


1、悔い改めと神の国

この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)

 ガリラヤで公に活動を開始した頃、主イエスのメッセージのポイントは二つありました。第一は罪の悔い改め。第二は神の国です。罪から救われる方法が悔い改めです。救われた者が持つべきビジョンが神の国です。この二つこそが聖書のメッセージの中心なのです。罪赦されて救われた者は、神の国をこの地上に作るのです。

主イエスについて行くとは、神の国を作る者になることです。

 1864年、デンマークは戦争に負け肥沃な土地を奪われ、不毛なユトランドの土地が残りました。エンリコ・ダルカスは36歳のクリスチャン。彼は祈りつつ、植樹という困難な働きの責任者になり、努力の結果ノルウェーのもみの木の定着に成功しました。
 あなたは、何をして神の国を作りますか。



2、ついてきなさい

 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨てて従った。
そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。(4:18~22)

 (1)「ご覧になった」という言葉に注目しましょう。

 ペテロが主イエスを見たのではありません。主イエスがペテロたちをご覧になりました。つまり、主イエスは、ペテロたちがどんな人物かを知っている上で招かれたのです。ここに、大きな慰めがあります。主イエスは、ペテロたちの性格、能力、生き方、興味、欠点、すべてを知った上で「わたしについてきなさい」と言われたのです。
 ついて行くとは、私たちの全部を知って信頼してくれた方の期待に応えることです。

 (2)「人間をとる漁師にしてあげよう。」という言葉を考えましょう。
 
 多くの人は、先入観からこの言葉を誤解しています。福音を伝えられる人物になれたら、伝道的な人になれたら、イエスさまについて行こうと考える人が多いのです。それは順序が逆です。まず、ついて行くことです。そうすれば、人間をとる漁師になれるのです。
 23~25節は、主イエスのガリラヤでの活動を要約した言葉で、主イエスの教え、福音、いやしの様子が分かります。この期間、十二弟子は、人間を取る漁師になっていません。
 十二弟子は、わずかな実習期間以外、主イエスの教えを聞き、主イエスの愛と奇跡を目撃し、主イエスの伝道活動のお手伝いをしただけで、3年間は見習いでした。復活後、ペンテコステを経験して、人間を取る漁師に変えられたのです。

 (3)「彼らは湖で網を打っていた。」という言葉を考えましょう。

ペテロとアンデレの兄弟、そして、ヤコブとヨハネの兄弟は、ガリラヤ湖畔のカペナウムに住んで漁師として働いていました。漁の最中、網を繕っていた時、主イエスは4人を招かれました。主について行くと心を決めるのは、普通の日常生活の中で起きのです。主イエスについて行くとは、特別な経験ではありません。あなたが今年、岐路に立ったとき、試練に出会ったとき、まさに普通に網をおろしている時にできる決断です。

ジョン・ワナメーカー(1838-1920)は、15歳の時に自分を主にささげて主について行くという信仰の決断をしました。フィラデルフィアの子供たちに福音を伝え、その信仰を育てることに生涯献身した人物でした。彼が20歳の時、日曜午後に市内から子供たちを集め子供のための礼拝と分級を行いました。23歳の時から洋服店を開き、やがて世界最大のデパートを経営するまでにビジネスが祝福され、郵政長官にも抜擢されました。
27人で始めた日曜学校は6000人の子供たちが集まり、専用の施設まで建設するようになりました。デパート王と呼ばれたワナメーカーの最大の関心は、人を取る漁師になることだったのです。

ついて行きましょう。主イエスに。「わたしについて来なさい。」

あなたの番です
 □神の国を作るため、ついて行こう
 □私の全部を知っている主イエスだから、ついて行こう   □私も人間をとる漁師になれるから、ついて行こう