ヨハネの黙示録


 私たちは、「ヨハネの黙示録」と呼びますが。「イエス・キリストの黙示。」(黙示録1:1)と書いてあります。これから起こることを主イエスが語られたのが本書です。創世記は天地創造の書ですが、黙示録は天地の終わりと再創造の書です。

全体のアウトラインは二つに分かれます。1~3章は7つの教会への言葉。4~22章がこれから起こる事についての預言です。

1、7つの教会への言葉(1~3章)

老使徒ヨハネは島流しになりパトモス島にいた時に、主から幻を見せられました。時は紀元95年頃、ドミティアヌス皇帝が皇帝礼拝を強要し、それを拒否したクリスチャンが迫害を厳しい受けた時代と重なります。

迫害下にあった7つの教会にヨハネは主イエスの言葉を伝えました。7つの教会とはトルコ半島西部にあった教会で、エペソから始まり時計周りに、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤを指します。以下はエペソの教会に語られた言葉です。
 
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。(黙示録2:4~5)

「初めの愛から離れてしまった」という叱責がありますが、それは、これから起こるであろうもっと厳しい迫害や困難に備えての励ましでした。他にも、サルデス教会は行いが死んでいる(3:1)、ラオデキヤ教会はなまぬるい(3:15~16)と忠告されました。

私たちも初心に帰りましょう。純粋な心を取り戻し、なまぬるい姿勢から離れ、愛と信仰を行動で示しましょう。


2、二つの現実(4~22章)

正義の神がいると教えているのが黙示録です。正義の神は、悪を放置されません。「御怒りの日」(11:18)が来たのです。「あなたのさばきは真実な、正しいさばきです。」(16:7)

4章以下は、これから起こる神のさばきが書かれてあります。「封印」(6~7章)、「ラッパ」(8~11章)、「鉢」(15~16章)、という言葉で表された3段階にわたる神の裁きが行われます。それぞれは7つの段階を踏んでいます。ノアの箱舟のように一度の決定的な裁きではなく段階的に行われる理由は、悔い改めの機会を与えた神のあわれみです。
戦争、病気、地震、天変地異、巨大な災害、星が地上に落ちるなど、神の裁きは徐々に厳しさを増します。

12章には一つの転機が書かれてあります。

さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。(12:7~9)

サタンは、天において天使ミカエルに敗北し、地上に落ちて最後の悪あがきをします。サタンは、「獣」(13:1)を用いて世界の人々を神から引き離し、悪の国を作ります。クリスチャンたちは苦しめられます。
地上は、このようにして、大きな災害と戦争に包まれ、まことの神に逆らう悪の力が席巻する混乱と暗黒の時代になります。

映画では、回想シーンや、話の筋とは全く異なる場面が挿入されることがあります。黙示録にも同じ表現があります。災害と戦争と偶像礼拝の地上の場面の次に、天における賛美と礼拝のシーンが突然現れます。セラフィムの礼拝、24人の長老の礼拝、天使たちの礼拝、地上からあがない出された者たちの礼拝などの場面が紹介され、神とその栄光の美しい姿も描写されます。

この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(4:8~11)

 地上の悲惨さや混乱だけが現実ではないのです。天における清らかな礼拝も等しく現実なのです。そして、やがて、地上の悪は完全に駆逐される日がきます。天における礼拝だけが唯一の現実になる時が必ずきます。

そして、この世が過ぎ去り、天と地がまったく新しく造られ、栄光のエルサレムが下ってきます。そこには太陽は不要で、神の栄光がすべてを照らし、涙と憂いのない新天新地に私たちは生きることになります。

また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。(21:1~6)

創世記は、はじめに神が天と地を造られたという語り出しで始まりました。一方、黙示録においては、終わりに神は悪を完全に滅ぼされ、悪も罪もない新天新地が生まれると伝えています。神から人間への啓示は黙示録で完結しました。だから、22章18~19節にあるように、これ以外に人は誰も聖書に付け加えてはならないのです。
主イエスは必ず再びお出でになります。栄光輝く勝利者として来られます。

「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」(21:5)
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに報いるために、わたしの報いを携えて来る。」(22:12)

 →あなたの番です
  □初めの愛に戻ろう
  □悪は滅ぼされる
□天の礼拝が今も行われている
  □すべてが新しくなる