聖書で自己点検 マタイ5:17~48

 神の国は、聖書を鏡として自分の心を点検する人によって作られます。


1、聖書を神の国作りの土台とする

まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。(マタイ5:18)

神の国を作るために不可欠なのは聖書です。たとえ天地が滅びても神の言葉は滅びません。神の言葉は絶対的な基準だからです。神の言葉を無視したり、自分に都合良く聖書を解釈するなら、神の国を建設することはできません。(19~20節)神の国は、聖書を愛する人によってのみ作られます。

マキャベリは1531年に『君主論』を書き、どうしたら強い国家を作れるかを述べました。王国を作る主役は、野望を持った王です。王が国作りに用いるものは、第一に強い軍隊(暴力)、第二に法律(王にとって都合の良いルール)です。王が最終的に望むものは、自分の誉れ、権力、富、快楽です。(荒野の誘惑を思い出して下さい)
以下は『君主論』からの引用です。
「民衆というものは頭をなでるか、消してしまうか、そのどちらかにしないといけない」
「一見、悪徳のように見えても、それを行うことで、みずからの安全と繁栄がもたらされる場合がある」
「信義など気にかけず、奸策をめぐらして、人々の頭を混乱させた君主のほうが、むすろ大きな事業をやりとげている」
「人間は邪悪なもので、あなたへの約束を守るものではないから、あなたのほうも、他人に信義を尽くす必要はない」
王国を作るためには、虐殺も、裏切りも、嘘も、見せかけの優しさも、最終目的のためにすべてが正当化されるとマキャベリは言います。現代社会の大統領、首相、政治家がマキャベリズムを利用していることが良く分かります。

それと比較して、神の国建設がどんなものかを考えましょう。
神の国を建設する主体は、普通のクリスチャンたちです。神の国を作るための手段は、暴力や嘘や策謀ではありません。自分の罪を認める人、つまり心の貧しい人たちが主体です。悲しみを知っており、善を求め、平和で柔和で、あわれみ深い者たちによって神の国は建設されます。最終的に求めるものは、神の国であり、神の国の拡大であり、神の栄光です。
目的が良ければ何をしても良いというマキャベリズムはクリスチャンの辞書にはありません。だから、自分の動機が正しいか、心の在り方は神に喜ばれる状態か、聖書を鏡にして点検する必要性があるのです。人は表面的につくろって、心の中に悪を隠してしまい、自分は良い人だと言い聞かせています。21~48節では、6つの項目を自己点検しなさいと主イエスが語られました。


2、太陽はすべての人に注がれる
昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。(マタイ5:21~22)

「と言われたのを、あなたがたは聞いています」「しかし、わたしはあながたがに言います」というフレーズを主イエスは繰り返されています。主イエスは聖書を廃棄して、まったく別な教えを語られたのではありません。聖書の本来の意味を取り戻しただけです。


①「人を殺してはならない」(21節)→憎むことは殺人と同じ。仲直りせよ。(24節)
②「姦淫してはならない」(27節)→誰でも心で姦淫している。心を野放しにするな。
③「妻を離別する者は」(31節)→自分勝手な都合で離縁するな。
④「偽りの誓いを立ててはならない」(33節)→悪や不誠実さを隠すため誓うな。
⑤「目には目を」(38節)復讐する権利を放棄せよ。
⑥「敵を憎め」(43節)→自分の敵を愛し、祈れ。

 山上の垂訓は、「立派な教えですな、深いですな」と感心しても何の役にも立ちません。やってみましょう。毎朝、聖書を読み、神の語りかけを素直に聞き、聖書の言葉を鏡にして自分の本当の姿を見つめて軌道修正しましょう。そのようにして聖書で自分の心を整えた人がキングダムビルダーになれます。

 主イエスが今日の箇所で言われたように、誰かと仲直りし、欲望に流れ込む心を制御し、夫婦愛を深め、悪は正直に告白し、「倍返しだ」と叫ばずに復讐の権利を投げ捨て、敵を憎むことに固執せずに敵のために祈って親切にしてみましょう。そのようにあなたが行動すると神の国が広がります。

 「天の父が完全なように、完全でありなさい。」(48節)という言葉で締めくくられています。悪人にも良い人にも分け隔てなく太陽を照らし雨を注ぐ神に私たちも近づきたいですね。

 →あなたの番です
  □聖書を鏡にして自分の動機を見つめる
  □自己保身しない、仲直りする、敵のために祈る