マタイ4:1~11  野の誘惑


 悪魔の誘惑は、主イエスが御霊に導かれる中で起きました。

1、誘惑の目的

さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。(マタイ4:1)

主イエスはヨルダン川を後にして、死海周辺と思われますが、荒涼たる荒野に入って行かれ、40日間断食されました。祈りに専念されたのでしょう。

主イエスは、悪魔の猛烈な誘惑にさらされ、私たちと同じように戦われました。「罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)

悪魔はこの時、二つの狙いを持っています。まず、主イエスが罪を犯すことです。どんな小さな罪でも主イエスが罪を犯せば、私たちの罪の身代わりにはなれません。
もう一つは、主イエスが十字架にかからないようにすることです。たとえば、主イエスが医者として有名になるとか、ローマ帝国からの独立を勝ち取る政治指導者になるなら、主イエスは成功者にはなれますが罪をあがなう救い主にはなれません。

私たちが誘惑に出会い、負けてしまえば罪を犯します。罪意識に苦しみ、神が遠くになったと感じます。誘惑に勝つ方法はあるのでしょうか。



2、石をパンにする=欲望

そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:2~4)

 悪魔は、主イエスの空腹時に、石をパンに変えて食べなさいと誘惑しました。最初は、小さな誘惑をしかけました。

 第一番目の誘惑の標的は何でしょう。欲望です。

 自分の欲望を満たすために、神の力を利用して奇跡を行う。それは、神の子、救い主がしてはいけない事です。神の子なのだから、石をパンに変えることができるはずだとプライドもくすぐりました。

一時的な欲望を、不正な方法を用いて満足させようとすると、刹那的な喜びしかやって来ません。嘘は嘘を生み、盗みは盗みを生み、性的罪は性的罪を生み、やがては欲望から抜け出せない下降スパイラルに陥って破滅します。

主イエスの答えはこうでした。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」旧約聖書、申命記8:3を引用されて、悪魔の誘惑を退けました。神の言葉を実行するとさわやかな満足感がやってきます。本当の満足は神と共に生きることです。神の言葉を食べ、実行するとき、満たされるのです。

 あなたの弱点の欲望は何ですか。食欲。性欲。金銭欲。
銀行の金を盗んで女に貢いで豪遊する支店長と、真面目に働いて貯金して初めて家族でハワイ旅行をする銀行員、どちらが本当に満ち足りるかあなたは分かるはずです。


3、身を投げよ=名声

すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」(マタイ4:5~7)

 悪魔は次に、エルサレム神殿の一番高い所から飛び降りてみよ、と主イエスに言いました。父なる神が主イエスを守られるのだから、何事もなく地上に降りられるはずだ。詩篇91篇まで引用して主張の正統性を訴えました。悪魔は聖書を知っていました。

 二番目の誘惑の標的は何でしょう。名声です。人気です。誰もいない荒野の崖の上から飛び降りろと言われたら、誰もが断るでしょう。無意味な話なので誘惑にすらなりません。神殿には常に大勢の人々が集まっていたので、目立つ場所から飛び降りて無傷なら、大喝采を受けます。宗教的スターになれるし、勇気をたたえてもらえます。
 
 私たちにとっても、人気は誘惑です。フェイスブックで「いいね」をもらったり、ツィッターで一番人気になれるなら、手段を選ばない人もいます。

 「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」主イエスは、申命記6:16を引用し、神を試みるのはいけない事だと反論されました。神の力を利用してはいかねいのです。

主イエスは、人気取りのために奇跡を行いませんでした。重い病人、生まれつきの盲人、歩けない人に出会うと、いやされました。そこには、おごそかな神の栄光があらわれました。奇跡は人々の救いと神の栄光が現れる時なのです。求めるべきは、自分の人気や名声ではなく、神の栄光なのです。



4、世界の栄華=権力と富

今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。(マタイ4:8~11)

 三番目の誘惑で悪魔は、自分を拝むなら全世界を与えようといいました。

 「国々とその栄華」とあります。この誘惑の標的は、権力と富です。

 最後の誘惑はとてつもなく大きな代償が示されました。世界の支配者になれる、世界の富を自分のものにできる。代償が大きすぎると人は誘惑に負けます。

 この白い薬をあのコップに入れてほしい、そしたらテンミリオンを上げよう。この薬を手に取ってくれるだけで手付金のワンミリオンを渡そう。この種の誘惑に勝てますか。

主イエスは言われました。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」と申命記6:13の言葉を引用して誘惑を退けました。
主イエスが「引き下がれ、サタン」と言われました。得られる報酬がどんなに莫大であっても、まことの神以外を神として礼拝してはいけません。私たちが偶像礼拝を強要される時は「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」という言葉を思い出しましょう。

 主イエスの目指していることは、世界の支配者になることや世界の富を独り占めにすることではなく、世界に仕えることです。ご自分の命を差し出して、罪と滅びから人々を救うことを目指しています。
 会社の社長、政治家、色々な部門の責任者は、自分の仕事や決断が本当に人々を幸せにするものか、権力と富を獲得するためなのか、見つめ直すことが必要です。

 誘惑に勝つ方法は、一人で立ち向かわないことです。信頼できるクリスチャンにあなたの誘惑を話し、祈って支えてもらって下さい。また、聖書の言葉はあなたに勇気をくれます。祈りの中で聖霊の守りと導きをもらって下さい。誘惑を振り払い、神の道を選べるならあなたは本当の満足を得ます。

 欲望。名声。権力。

 主イエスは、あらゆる誘惑を退け、十字架の道に進んでいかれました。あなたも、その足跡について行きましょう。

 →あなたの番です。
  □欲望でなく、みことばを行う満足を体験しましょう
  □名声でなく、神の栄光を求めましょう
  □権力でなく、仕える心を喜びとしましょう