マタイ13:44~52 畑の宝

 あなたは宝を持っていますか。宝とは何でしょう。

1、宝

天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。(マタイ13:44)

アメリカの切手収集家の間で、1918年発行の「さかさまジェニー」という切手は有名です。専門家たちがその切手に出会ったら、1億円を工面してでも購入するでしょう。たった1シートだけ、飛行機の絵柄がさかさまに印刷された希少切手なので、3億1千万円の値が付いているからです。

また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。(マタイ13:45~46)

 畑の宝のたとえも、真珠のたとえも、同じ意味を持っています。本当に価値あるものに出会ったら、人は何をしても手に入れる。本物の宝はそれほど尊いものなのです。

 同種のたとえを主イエスが語るのは、語られている内容に間違いはなく、大切な事だと念を押しているのです。

 ところで、今日のたとえ話は、4つの福音書の中でマタイだけが記録しています。他の弟子たちにとっては、心惹かれる教えではなかったようです。お金という価値にこだわる取税人の経歴や主イエスとの劇的な出会いが、この宝のたとえ話に凝縮しているとマタイは感じたのでしょう。

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。(マタイ9:9)

マタイが道端で仕事をしている最中に、主イエスは声をかけました。そのこと自体がまず、マタイの宝になりました。嬉しかったのです。愛を感じました。そのままで受け入れられていると感じたのでしょう。

わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。(マタイ9:13)

マタイが主催したパーティーを目撃したパリサイ人は、罪人の集会だと強く批判しました。イエスは公にマタイをかばいました。正しい人には医者はいらない。マタイのような罪人を招いて、いやすために来たのだと主イエスは言われました。この経験は宝となりました。

さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ(マタイ10:2~3)

主イエスが声をかけて弟子としてくださったことをことを思い出すと、マタイは感謝であふれました。12弟子の名前のリストで、自分にだけ「取税人マタイ」という古傷を加えています。キズ者のマタイはイエスに愛されたのです。信頼されたのです。彼の傷が宝になったのです。

宝とは何でしょう。苦しくても、悲しくても、物事が思い通りにいかなくても、人から笑われても、病気でも、孤独でも、貧乏でも、死を目前にしても、私を支えてくれるものが宝です。

本当の宝は、主イエスです。主イエスを知っていれば、すべてを失っても生きていけます。マタイは、12弟子の中で誰よりも主イエスとの出会いに感謝した人でした。すべてを売り払ってでも手に入れたい宝とは、主イエスなのです。

 あなたも宝を手に入れてください。すでにクリスチャンなら、宝の価値を再認識して下さい。
 


2、地引網のたとえ

また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。(マタイ13:47~50)

 このたとえは、毒麦のたとえとそっくり同じ意味を持っています。地引網の中にサメがいたり毒針のあるエイがいたら危険です。漁師は取れた魚を選り分けます。人間の世界も同様で、世の終わりに選別が行われ、悪いものは火の炉に投げ込まれると主イエスは述べました。滅びの悲惨さを強調してたとえが終わっています。それは、滅びるなという警告です。

あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」(マタイ13:51~52)

 山上の垂訓のまとめは、聞いた事を実行しなさい、でした。たくさんのたとえを語り終えた主イエスは、御国の学者として人々に教えなさいと諭しました。

 
 チャックルズという名の黒い犬は、自分の好きな物を見つけると自分の宝にして、自分専用の箱に隠す犬でした。一度自分の宝になったものは、容易に人には触らせません。
 飼い主のヘザーさんが癌の手術を受け、体のだるさを覚えてソファーで居眠りしたことがありました。目が覚めると、あごの下にアヒルのおもちゃがありました。頭の部分にはウサギのぬいぐるみ、お腹の上にはフリスビーとリスのぬいぐるみ、周囲には黄色いテニスボールがたくさん置いてありました。チャックルズが自分の宝を飼い主のために持って来て慰めていたのです。

 さて、あなたはどんな宝を持っていますか。本当の宝は、あなたを励ますだけでなく、他の人をも励まします。主イエスという宝を持っている人は、他の人にも宝を届けることができるのです。

天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。(マタイ13:44)


 →あなたの番です
  □主イエスこそ、私の宝
  □天の御国の学者として、人に教えよう