「君らしくない」 ヨブ記4:1~5:27

 今日はエリファズの言葉に注目しよう。エリファズはヨブの3人の親友の中で長老格で、他の2人の意見を方向付けた。

エリファズの発言は4つのポイントにまとめられる。

1) 君らしくないぞ。しっかりしろ。<激励>
「見よ。あなたは多くの人を訓戒し、弱った手を力づけた。
だが、今これがあなたにふりかかると、あなたは、これに耐えられない。
これが、あなたを打つと、あなたはおびえている。」(4:3~5)
 エリファズは、ヨブを弱気から立ち上がらせようと叱咤激励した。ヨブの否定的な言葉に耐えられず、エリファズが自分の心のバランスを取り戻すために怒りにまかせて語った言葉だ。これはヨブに対する言葉ではなく、自分のために語った言葉。

2) 罪があるから、災いに遭うのだ。<分析>
「さあ思い出せ。だれか罪がないのに滅びうせた者があるか。
どこに正しい人で絶たれた者があるか」(4:7)
 これは、男性がよくやる方法で、苦しみを分析した言葉。結果には必ず原因がある。胸に手を当ててみろ、気づくだろ。それを悔い改めればよいのだ。相手も悪いが、お前にも問題がある、という趣旨。
 まったくの的外れだが、ヨブが否定すればするほど、3人の友人はこの意見にとらわれてしまう。

3) どんな人間も神の前にきよくない。<一般化>
「人は神の前に正しくありえようか。
人はその造り主の前にきよくありえようか。」(4:17)
 これは、問題を一般化している。人の問題は、100人いれば100人違う。それを単純化しても何に役にも立たない。どんな立派な人間でも神の前では汚れている。そんなこと、ヨブは百も承知してる。だから、自分の息子たちが知らないうちに犯したかもしれない罪のため、全焼のいけにえまでささげて来た。(1:5)

4) 全能者に責められることは幸いだ。<教訓>
「ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。
だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。
神は傷つけるが、それを包み、
打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。」(5:17~18)
 これは大筋で正しい。信仰における真理の教訓だ。ただ、それが今のヨブにどんな励ましになるだろう。

エリファズは、悪人ではない。真面目で、信仰的で、ヨブを何とか立ち直らせたいと思っている。
エリファズの何が問題なのか。ヨブの言葉を最後まで聴けない点が問題なのだ。激烈で、否定的なヨブの言葉を、ありのまま聞けない。聞くに絶えられない。問題の迷路に入り込みたくない。だから、話の途中で反論を考えていた。何とか自分の心のバランスを確保したかった。

それでは、どうしたら良かったのか。ヨブの言葉を、注意深く、最後まで聴き取ればよかったのだ。「聴く」という漢字は、よく見るとおもしろい構成になっている。耳の右に、十四の心が付いている。漢字そのものの語源は別にあるが、字が面白い。自分の意見や先入観を入れずに、相手の言葉と心を聴く努力をしよう。

私は日本でスキーをして顔からころんだことがある。そのため、顔がはれて痛くてたまらなかった。たまたま出席した牧師会で、田辺先生が、「顔ですが、顔は痛いんですよね」と真剣な顔で言ってくれました。その一言で私は一瞬痛みを忘れました。

ヨブの3章の言葉を聴いて、エリファズはこう繰り返せばよかった。ヨブ、本当に辛かったな。生まれた日をのろうほど、苦しいんだな。「死の国」に行ってしまいたいほど絶望しているんだな。太陽が憎いくらいの暗闇にいるんだな。安らぎと休みが欲しいんだな。俺はいつまでもお前の横にいるよ。

4章、5章を読んで、あなたへのメッセージを送りたい。あなたの周囲にヨブがいる。現代のヨブは、あなたの子供かもしれない。あなたの夫や妻かもしれない。会社の同僚や友人かもしれない。その言葉を100%、そのまま聴き取ろう。激励も、分析も、一般化も、教訓も、最初は必要ない。
私はちゃんとあなたの言葉を受け止めたよ、とあなたの言葉で繰り返してあげよう。きちんと気持ちが伝わったので安心する。自由になれる。初めて人の話が聴けるようになる。その時に、激励も分析も一般化も教訓も生きてくる。あなたも、まず14の心で人の話を聴こう。

 主イエスは、黙示録2章2、9、19節で同じ言葉を繰り返している。「わたしは知っている」。そうです。主イエスはあなたの労苦や忍耐、ののしられている事実を知っているのです。つらいだろ。分かるよ、と言ってくださるかたです。
その主イエスがいるから僕らは生きていけます。その主イエスに信頼して生きていきましょう。そして、あなた自身が良い聞き手になりましょう。