「落胆している者」 ヨブ記6:1~7:21

信仰は、神と私の<縦の関係>です。その間には誰も入れません。信仰が弱ったときは、私たちは神から顔をそむけたり、下を向いたりします。そんなとき、<横の関係>が僕らを支えてくれます。<横の関係>とは、何でしょう。それは、信仰の仲間のことです。縦の関係には割り込めませんが、信仰の友は横から僕らを支えることができます。そのおかげで、再び上を向くことができるようになります。

ヨブの場合は悲劇でした。度重なる試練で打ちのめされヨブには、横からの支援が必要でした。ところが、ヨブの友達はかえってヨブを落ち込ませたのです。6章と7章には、縦と横、つまり両方の関係が破綻したヨブの姿が表れています。

ヨブは友人に慰められたのでなく、かえって誤解されました。罪があるから災いに遭ったのだ、悔い改めよと強く責められました。そのためヨブは自分を見失い、逆にヨブが神を誤解するようになったのです。神は1~2章でヨブを最大限に信頼し、サタンの手からヨブの命を守ったことを知りません。神の悪意ある攻撃を受けたと思い違いをしています。

「全能者の矢が私に刺さり、
私のたましいがその毒を飲み、
神の脅かしが私に備えられている」(ヨブ記6:4)

8節から13節は信仰の動揺が激しく、気持ちが不安定になっています。神に殺されるなら本望、その苦痛の中で喜びを感じるだろうと言ったかと思うと、自分は鉄人ではない、弱くもろいと嘆きます。

14節から23節では、友人を責めます。
「落胆している者には、その友から友情を。
さもないと、彼は全能者への恐れを捨てるだろう。」(6:14)

ヨブは、ユダヤ地方独特の川にたとえて友人を批判しました。ヘブル語でナハル、アラビア語でワディと呼ばれる川は、冬は氷つき雪に覆われ、夏は干上がって水が飲めない。何の役にもたたず、裏切るだけだと言い切ります。

24節からは、自分の正しさを主張し、無実だと叫びます。
「私に教えよ。そうすれば、私は黙ろう。
私がどんなあやまちを犯したのか、
私に悟らせよ。
まっすぐなことばはなんといたいことか。
あなたは何を責めたてているのか。
あなたががたはことばで私を責めるつもりか。
絶望した者のことばは風のようだ。
あなたがたはみなしごをくじ引きにし、
自分の友さえ売りに出す」(6:24~27)

7章1~6節では自分の皮膚病の辛さを語ります。

7章7~10節では、自分が取るに足らないものであると告白します。

7章11~14節では、夢にうなされると苦しさを述べます。

7章15~21節では、神に責められていると感じて、もう相手にしないでほうしい、私はあってもないような小さな存在だ、目を離してほしいと懇願します。
「私にかまわないでください」(16)
「いつまで、あなたは私から目をそらされないのですか」(19)
「なぜ、私をあなたの的とされるのですか」(20)
「あなたが私を捜されても、私はもうおりません」(21)

このように、縦の関係が厳しい試練のゆえに壊れ、横の関係が誤解や無理解により支援力を失うと、人はヨブのようになる。
私はハワイにいたとき、住んでいた借家のオーナーから突然出て行くように連絡を受けました。不動産ブームで家を売ることになったのです。途方に暮れ、やっと捜した家がありましたが、引越しの人手がなくて頭を痛めました。でも二組のクリスチャン夫婦が僕ら家族を横から支えてくれました。一人は消防士、一人は軍関係のお医者さんでした。温かい愛、具体的援助、笑顔、ジョーク、すべてに励まされました。

最後に3つのアクションをあなたに勧めします。

1、 あなたが信仰的に弱っているなら、横の関係に助けを求めましょう。仲間に間に声をかけましょう。

2、 あなたの周囲に落胆している人がいませんか。その人を励ましましょう。言葉で、耳を傾けることで、一緒にいることで、行動で、まなざしで、祈りで応援しましょう。

3、 ただ一人、絶対にあなたを誤解しない方がいることを心に留めましょう。「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)