「すばらしい喜び」  ルカ2:8~20

 アメリカのクリスマスで、嫌いな点が二つあります。一つは「ハッピー・ホリデイズ」という言い方。もうひとつは買い物の洪水です。アメリカの一流企業の広告から「メリー・クリスマス」のフレーズは一掃され、ほとんど全部が「ハッピー・ホリデイズ」に変わりました。いったいぜんたい、誰がこんなことを仕掛けたんだ。ホリデイじゃなくて、クリスマスだよ。
 世の中、買い物、買い物のアメリカですが、私はプレゼントが一つもなくても、クリスマスに喜べます。ごちそうがなくても、喜べます。家族が集まれなくても、嬉しいです。その理由を3つのポイントで話しましょう。

1、 クリスマスは、救い主の誕生を伝える日
2、 クリスマスは、行って、見て、確かめる日
3、 クリスマスは、神をたたえ、喜ぶ日

1、クリスマスは、救い主の誕生を伝える日

 11月4日、茨城県で当たった宝くじを宝くじ売り場に置き忘れた人がいて、ニュースになりました。店の担当者が男性が持ち込んだ残りくじを調べたら、1000万円(約10万ドル)が当たっていたのです。「お客さん、当たってますよ。当たってますよ」と言おうとしても、もういません。事件が警察に通報され、ニュースとなって報道されました。「良い知らせです。1000万円が当たりました。あなたのためのニュースです。心当たりの人は申し出てください」。

 クリスマスの出来事は、それ以上に素晴らしいニュースの日です。あなたの罪を完全に解決する救い主が生まれたのです。それも、あなたのために、救い主が生まれたのです。

 天使は野原の羊飼いにニュースを知らせました。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:10~11)

 クリスマスは本来、飲んだり食べたりした日ではなかったのです。プレゼントを仲間同士でやりとりする日でもなかったのです。子供のためでもなく、家族のための日でもなかったのです。素晴らしいニュースを伝えた日でした。
 もし宝くじ売り場のおばさんが、<しめしめ、この当たりくじを他の店で換金しよう>とネコババしたら非難されるでしょう。主イエスの誕生を伝えず、自分たちだけで食べたり飲んだりするだけでは、宝くじの独り占めに等しいのです。私たちのクリスマスを、救い主を伝える日にしましょう。
もっとクリスマスを伝道的にしましょう。天使たちのように、救い主の誕生を知らせましょう。


2、クリスマスは、行って、見て、確かめる日

 良い知らせを聞いて、何もアクションを起こさなければ、救いはあなたのものになりません。
さきほどの宝くじのニュースもテレビやラジオで報道されましたが、「それは私のものです」と申し出なければ自分のものになりません。あきれたことに18人が警察に届けたといいます。困りますね、この人たちは。詳しく話しを聞いて、210枚宝くじを買った30歳代の男性の話が、店で換金する際に65000円が当たっていて嬉しくなって帰ってしまったといいます。店員の証言と合致して、無事1000万円が手に入りました。
 羊飼いたちは、素晴らしいニュースを聞いて、それで終わりではなかったのです。行動に移しました。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」(15節)
 私はこのシーンを想像するのが好きです。「こんばんわ。今日お宅で赤ちゃんが生まれましたか」「こんな夜に失礼します。今日、赤ちゃんが生まれた家を知りませんか」羊飼いは手分けして捜したことだろう。ベツレヘムといえば、預言者ミカが救い主が生まれると預言した町だった。(ミカ5:2)
「えっ、赤ちゃんが生まれた。それで、その赤ちゃんはどこに寝てますか」「温かそうなベッドに寝てるけど」「ご迷惑をかけました、人違いでした」12節にあるように「飼い葉おけ」に寝ていることが救い主の印だった。そんな赤ちゃんどこにもいない。飼い葉おけは家畜のえさ箱だから、思いがけない出産でなければ寝かせない場所だ。「なに、飼い葉おけに寝ている。申し訳ありませんが、一目見せてもらえませんか。今さっき、天使の知らせを受けて来たのです。その赤ちゃんが私の救い主だというのです」。

 あなたが、まだイエスさまを信じていないなら、まだバプテスマを受けていないなら、この羊飼いに習って、行って見て確認してください。イエスさまが救い主であるかどうか、聖書をよく読んでください。礼拝に通ってください。スモールグループで聖書を学び、クリスチャンと交わる中で、イエスさまがどんな方かあなた自身で確かめてください。
クリスマスはあなたにアクションを促す日です。もう一歩進んで、イエスさまを見出してください。


3、クリスマスは神をたたえ、喜ぶ日

 「羊飼いは、見聞きしたことが、全部御使いの話しのとおりだったので、神をあがめ、神を賛美しながら帰って行った。」(20節)

 良いニュースを聞いて、行って見て確かめた羊飼いは、神をたたえ喜びで満たされました。暗い夜道を厳しい仕事に帰る中でも神を賛美し、神をたたえて帰りました。クリスマスは救い主を送ってくださった神をたたえ喜ぶ日です。神を礼拝するのにふさわしい日です。

 次のような出来事を本で読みました。アメリカに住むひとりの年配のご婦人ソーンホープさんはクリスマスが近づいても元気がありませんでした。その年、大切なご主人に先立たれ、落ち込むことが多かったのです。ある夜、外は吹雪で寒い天気でした。婦人は、台所の冷蔵庫の取ってにしがみつき、冷蔵庫に額を押し付け、「あなたがいなくなって、つらくて、悲しいの。あなたがいたときは、吹雪が怖いなんて思ったことがない。これからどうやって生きていけばいいの」。
 そのとき、誰かが尋ねてきました。「こんばんわ。お届けものです」大きなダンボール箱が届きました。「あら、なにも注文してないわ」「いいえ、ほらちゃんと、半年前に注文を頂いてます。あけてみてください」なにか中で動いています。開けてみると、ラプラドル・レトリバーの金色の子犬が入っていました。手紙と本、ドッグフードと首輪も一緒に届きました」。
 カードには懐かしい夫の字でこう書いてありました。もう私はだめだ、この手紙が届くころには、もう私はいないだろう。今までありがとう。こいつを良い相棒にしてくれ。かわいがってくれ」。子犬を抱きしめながら、婦人はありがとう、あなたと心で感謝しました。

 僕らの苦しみや痛みを予想して、あらかじめ救い主をプレゼントしてくださった神に感謝しよう。私のような罪人を忘れないで、救おうとしてくださった神を賛美しよう。クリスマスには素晴らしい喜びがあるのです。