第2コリント13:1~13 吟味する

 あなたは、どんな人になりたいですか。どんなクリスチャンになりたいですか。その理想像に近づくために、何をしたら良いでしょう。そのヒントが今日の箇所、第2コリントの最後の章、13章にあります。

1、自分の信仰を見直す

 「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。――あなたがたがそれに不適格であれば別です。――」(第2コリント13:5)

 Examine yourselves to see whether you are in the faith; test yourselves. (NIV) まず、自分自身の信仰を吟味する必要があります。それが、理想のクリスチャンに近づく第一歩です。あなたの普通の生活態度、それが、あなたが信仰を如実に表しています。

 今まで、コリント教会の一部の人がパウロをテストしてきたのですが、今度は、パウロが逆にコリント人の信仰のありかたを問いました。「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分をためし、また吟味しなさい。」(5節)パウロは第1コリント16:13で「堅く信仰に立ちなさい」と命じていましたが、コリントの人々は口で信じると言いながら、行動で信仰を否定していました。

 「あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。」主イエス・キリストが私たちの中におられる。このことに気づいて生きているなら、信仰に立っていると言えるのです。私たちは、私たちの中におられる主イエスを忘れたり、無視したりして生きる悪い癖を持っています。

 この箇所と関連して、賛美歌の歌詞を思い出しました。アナ・P・ウォーナー(1822-1915)作詞のとても有名な子供賛美歌です。

 Jesus loves me! This I know, For the Bible tells me so. Little ones to Him belong; They are weak, but He is strong. Yes, Jesus loves me! Yes, Jesus loves me! Yes, Jesus loves me! The Bible tells me so. 

 この歌を明治維新の頃、バプテスト宣教師のゴーブルがこう翻訳しました。「エスワレヲ愛シマス。サウ聖書申シマス。彼レニ子供中。信スレハ属ス。ハイエス愛ス。ハイエス愛ス。ハイエス愛ス。サウ聖書申ス。」
 主イエスを信じる者は、主イエスの中におり、主イエスに属しているのです。「あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。」(コロサイ2:6)というパウロの説明と同じ思想です。

 会社や学校で、何かの問題に出会ったとき、主イエスと相談しましょう。家庭の事柄や、自分の将来の事で、何かの決断が必要な時、主イエスに尋ねましょう。嬉しいとき、主イエスに話しましょう。悲しいとき、主イエスに伝えましょう。



2、目標は高く

 パウロはこの手紙で何度も自分の役割が、信仰のコーチだと語ってきました。(第2コリント10:8、12:19)10節でも「この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。」と語っています。

 「私たちは、自分は弱くてもあなたがたが強ければ、喜ぶのです。私たちはあなたがたが完全な者になることを祈っています。そういうわけで、離れていてこれらのことを書いているのは、私が行ったとき、主が私に授けてくださった権威を用いて、きびしい処置をとることのないようにするためです。この権威が与えられたのは築き上げるためであって、倒すためではないのです。」(9~10節)

 11節でパウロは、クリスチャンの目指す一つの理想の姿を掲げました。理想の姿を持つこと。それは、信仰の成長を促す一つの方法です。

 「終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。」(11節)

 クリスチャンが目指す目標とは、喜び、完全、慰め。一致と平和です。

 「喜びなさい」とあります。神に愛されている、罪が赦されている、主イエスが共にいて下さることによる安心が喜びの土台です。そのままで良いという大きな安心が私たちを包みます。
 カトリックのシスターで大学理事長をされた渡辺和子さんは、一日を振り返り3つの感謝をノートに書いたそうです。こういう姿勢は、喜びを習慣化させる良い方法ですね。
昨日プロポーズされ結婚を承諾した女性の喜びが簡単に消えないように、神の愛は私たちに大きな喜びを与えてくれます。

 「完全な者になりなさい」とあります。目標は高いほうがいい。パウロが掲げる目標はとてつもなく高い。高いがゆえに、私たちは自分の不十分さに気づき、成長したいと思うのです。
 「神にとって不可能なことは一つもありません」(ルカ1:37)とマリヤが言ったように、神が共にいて、神が助けて下さるなら、高すぎる目標ではないのです。
 あなたは、どの部分を変えたいですか。何を身に着けたいですか。何を学びたいですか。理想のクリスチャンになるには、今日何をしたらいいですか。今週何をしますか。この1ヶ月で何をしますか。この1年、この10年で何をしたいですか。

 「慰めを受けなさい」とあります。新共同訳では「励まし合いなさい」となっています。パウロがこの手紙の中で特に強調してきたことは、弱さと慰めでした。生きているなら誰でも必ず落ち込みます。それが人間です。だから、神と人からの慰めと励ましが必要なのです。
 垂直方向での神との交わりと共に、水平方向の人間との交わり。この両面があって初めて、クリスチャンは成長します。
 ある高校の先生が卒業式の後で、一人の生徒にこう言われたそうです。「先生だけは、私を見捨てないでいてくれました」家庭的にも、成績面でも問題があった生徒でしたが、その先生は授業中にこの学生と目が合うと、微笑んであげていた事を思い出しました。

 「一つ心になりなさい。平和を保ちなさい」とあります。一人で聖書を瞑想し、長時間の祈りを行い、霊的に高められ、心が完全にきよめられたという人がいたとします。ところが、家庭ではわがまま、職場では他人を無視、教会では仲間を見下ろすなら、その人は裸の王様と同じことになります。
 周囲の人、とくに家族や親友などの間で、愛を通わせ、交わりを修復できる能力はとても必要です。あなたは、誰かを具体的に援助していますか。誰からか相談を受ける人ですか。交わりの中でも平和や一致を求める人になりましょう。

 あなたはどんなクリスチャンになりたいですか。理想と今のあなたは、どれくらい違いますか。どうしたら、そのギャップを埋められますか。

 最後の祈りは、キリスト教会に広く知られている祝祷です。父なる神、子、聖霊が同列に扱われ、三位一体の根拠となる大事な聖句でもあります。
 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」(13節)

 あなたがどんなに罪深くても主イエスの恵みは必ず届きます。自分が無価値に感じても、神の愛は無限にあなたを包んでくれます。孤独をかみしめているなら、聖霊があなたの真の友であり、あなたとの交わりを決して放棄しないことを忘れないで下さい。

 この10年間、ほとんど毎日、私たち夫婦は夕食後にウォーキングをしてきました。共に歩き、共に語る中で、妻と心を通わせることがどんなに大切なことかを知りました。
 妻との心のつながりが深くなる中で、主イエスと共に歩むという意味がだんたんど理解できるようになりました。それに比例するように、信仰とは何か、少し分かるようになってきました。聖書知識を頭に詰め込むことや、自分の意志の強さで物事を行うことや、特殊な奇跡を待って手を上げ続けることが信仰の本質ではない。生きておられる主イエスと共に、歩くことが信仰の中核なのだと気づいてきました。

 子供賛美歌でもう一つ、私の好きな歌があります。「主イェスと共に歩きましょう、どこまでも。主イェスと共に歩きましょう、いつも。嬉しい時も悲しい時も、歩きましょう、どこまでも。嬉しい時も悲しい時も、歩きましょう、いつも。」あなたも、主イエスと共に歩きましょう。

 →あなたの番です
 □あなたの信仰を吟味しましょう
 □喜び、完全、慰め、平和を求めましょう。
 □理想のクリスチャンになるために何をしますか
  今日、何をしたいですか。1ヶ月内に何をしたいですか。
  1年以内に何をしたいですか。10年の間に何をしたいですか。