マルコ11:1~11 主がお入り用です

 今日は、ロバについて少し詳しく考えてみましょう。

 ロバに触れる前に、今日の箇所の背景をお話します。
主イエスが十字架にかかられたのが金曜日です。その週が始まる日曜日に、主イエスは、オリーブ山のふのとの町、ベタニヤ付近でロバの子を手に入れ、それに乗って祭りでにぎわう都エルサレムに入られました。ヨハネ11:18によると、ベタニヤはエルサレムから東に3キロメートルほどの距離にあると分かります。人々は「ホサナ」と叫んで、王としてエルサレムに来られた主イエスを熱狂的に歓迎しました。

 「そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。『ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。』」(7~10節)

 マタイもマルコもルカも、ロバがどのように選ばれたのかを必要以上に詳しく書いています。いきなり赤の他人がロバを連れ帰り、ちょっとした騒動になるというユーモラスな出来事でもあります。これを記録したマタイたちにとっても、ロバと弟子たちの姿が何となく重なり、他人事に思えなかったのかもしれません。


1、主は、子ロバを知っておられた

 「向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。」(2節)

 「ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう」とあります。ロバは、イエスさまとは関係なく、ロバの人生を送っていました。人生ではなく、ロバ生かもしれませんが。主イエスに見られていた事など、まったく念頭にないはずです。
主イエスは、ロバを見ていました。時が来たら、あのロバに乗ろうと心に決めておられたのでしょう。

 主イエスは、あなたを見ておられます。あなたを知っています。あなたが知らないだけです。主イエスは、あなたを心に置いておられます。


2、未知数のロバ

 「まだだれも乗ったことのない」「ろばの子」(2節)と書いてあります。

 このロバは、経験も実績もありません。子供なので、まだ役に立たないのです。

 経験不足、未熟、未知数。それがあなたの姿なら、あなたはロバに似ていませんか。


3、つながれていた

 「表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。」(4節)

 ロバは、家の戸口につながれていました。

 私たちは、主イエスを信じる時まで、様々なものに繋がれ、束縛されていました。罪の奴隷でした。この世の価値観の奴隷でした。否定的なセルフイメージで縛られていました。
主イエスは、あなたを縛っているものから解放して下さる方です。

 主イエスを信じてからも、まだ何かの紐で繋がれている人もいます。毎日の忙しさに繋がれています。ぬるま湯から出られません。まるでサーカスの像のように、杭に繋がれると、自分は逃げ出せないと思い込み、自分はダメだとあきらめています。違います。あなたはできるのです。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)

 主イエスは、あなたをあらゆる束縛から解き放つ方です。
 今、あなたは何につながれていますか。


4、主がお入用です

 このロバが二重まぶたで美しいとか、力があるとか、血統が良い、気立てが良いとか、書いてありますか。カラオケの歌がうまいとか、コンピュータースキルがある、リーダーシップがあるなどとは書いてありません。選ばれた理由は、ロバの中にはないのです。

 「もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」(3節)

 ロバが選ばれた理由は一つだけです。主イエスが、必要とされたという事です。平和の君、主イエスが乗る動物としてロバが一番適切だったのです。ゼカリヤ書9:9の預言の成就のためにもロバが必要なのです。

 ロバがイエスさまを乗せてエルサレムに向かった時、道を埋めた人々はロバに目を向けたのでしょうか。いいえ。主イエスを見て、賛美したのです。私たちの人生も同じです。主をお乗せして歩くとき、主たほめたたえられるのです。あなたの賜物と、あなたの経験を生かした分野で主イエスをお乗せして歩きましょう。主の栄光のため用いられる。それが、ロバの本当の喜びです。

 使徒行伝の時代、ユダヤから地理的に離れたアンテオケで外国人がたくさんクリスチャンになりました。バルナバがアンテオケ教会に遣わされましたが、バイリンガルの働き人が不足しており、バルナバはパウロを捜しにタルソに出かけ連れてきました。(使徒11:25~26)この場面でも、バルナバはパウロに今日と同じようなことを話したはずです。主があなたをアンテオケで必要としていると。

 イグナチオ・デ・ロヨラは、パリの大学で学んでいたとき15歳年下の青年と寮の同室になりました。1529年のことです。主イエスの福音のためにすべてをささげよと熱く説得し、それに応えたのがフランシスコ・ザビエルでした。

 まとめます。主イエスは、経験も実績もない子ロバに目を留め、つながれていた紐をほどいて新しい出発に導かれました。主イエスは、子ロバのお前が必要だと言って下さいました。この招きに応えた時、主イエスをお乗せしてエルサレムに行くことができました。

 私は大学3年の3月、今日の箇所を読んで、主が私を牧師の働きに招いて下さっていると確信し、水曜の祈祷会であかしをしました。当時は、神学校の学費とか、自分の能力なと、二次的な事に思え、主の招きに応える喜びで心は躍っていました。私が所属していた教会は、私を含め3人が神学校に同時に行くという事態を主からの導きと受け止め、3人の授業料と寮費を全額支援してくれました。今考えても、素晴らしい教会、ささげる教会だと感動します。

 あなたは、人に誇れるものが何もないと嘆いていますか。それなら、あなたはロバです。未熟で、誰も相手にしてくれませんか。それなら、あなたはロバの子です。サラブレッドでない自分を嘆いてはいけません。たとえ人が何と言おうとも、主イエスはあなたが必要だと言って下さいます。あなたのスペアは世界中に一つもないのです。

 あなたが今生きているは、主があなたを必要とされている印です。主の期待に応えましょう。今週、あなたが必要なのだという具体的な依頼が来るかもしれません。「主の用なり」と積極的に自分をささげましょう。


 →あなたの番です
  □王である主は、あなたが必要だと言われます
  □主の招きに応答し、主に用いていただきましょう。
  □どんな分野で、主をお乗せして進みたいですか