ヨシュア記22章  誤解


 外敵との戦いをひとまず終えたイスラエルは22章に入って、あわや内戦、見方同士の殺し合いという瀬戸際に立たされます。
 これは、私たちの日常生活でよく起きることで、意気消沈する結果を招きます。夫婦のいがみ合い、親子の断絶、友人同士の仲たがい、教会の分裂など私たちも経験する出来事です。
 今日は誤解について考えましょう。誤解の発生要因を検証し、解決方法を探りましょう。

1、2部族半の気持ち

ルベン、ガド、マナセの半部族はすでに相続地をヨルダン東側に得ていましたが、他のイスラエル人と共に今まで戦ってきました。ヨシュア記1:12~18で約束したように、どこへでも行き、何でもするという献身姿勢を最後まで崩しませんでした。
それでヨシュは2部族半の人々の姿勢を高く評価し、祝福して彼らを居住地に帰しました。(ヨシュア記22:1~5)その興奮さめやらぬ中で2部族半の人々は祭壇を築きました。

申命記12章は、いけにえをささげる祭壇は1箇所と明記しています。「全焼のいけにえを、かって気ままな場所でささげないように気をつけなさい。」(申命記12:13)
別な場所に祭壇を作ったので、誤解の種になりました。

祭壇を作った理由は、自分たちもイスラエルの一部だと証拠を残すためでした。

しかし、事実、私たちがこのことをしたのは、次のことを恐れたからです。後になって、あなたがたの子らが私たちの子らに次のように言うかもしれないと思いました。『あなたがたと、イスラエルの神、主と何の関係があるのか。(ヨシュア記22:24)

「私たちの先祖が造った主の祭壇の型を見よ。これは全焼のいけにえのためでもなく、またほかのいけにえのためでもなく、これは私たちとあなたがたとの間の証拠なのだ。」(28節)
 
 ヨルダン川西側の人々は、二部族半の人々の気持ちは理解できず、神への反逆、イスラエルからの離反と判断、早急に滅ぼすべきだとの強硬論が支配的となりました。

2、誤解が生まれる背景

 一般的に言って、誤解は次の要素で起きます。
1)外観とうわさと先入観(主観的な判断、好き嫌い)
2)感情的な行動(思慮の欠けた対処、話し合うことを避ける態度)

 ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、カナンの地にあるヨルダン川のほとりの地に来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは、大きくて、遠くから見える祭壇であった。(10節)

 ヨルダン西部の人々は、見える部分、外観だけで判断しました。

イスラエル人はこういううわさを聞いた。「ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。」(11節)

2部族半が神に逆らい、不信の罪を犯し、独立分派行動を起こしたとのうわさに惑わされたのです。先に領地を得たしたたかな連中という先入観もあったかもしれない。

 今すぐ、ヨルダン東側の2部族半を攻撃し、滅ぼすべきだと頭に血が上ってしまった。

イスラエル人がそれを聞いたとき、イスラエル人の全会衆は、シロに集まり、彼らといくさをするために上って行こうとした。(12節)

早急な態度を取ったイスラエル人とあなたは似ていませんか。
 
 自分を点検しましょう。
□外見と噂と先入観で人を判断していませんか
□感情に流された早急な行動をしていませんか

 夜中に見たEmailで感情を害し、かっとなって書いたメールがあるなら、送信ボタンを押すのは明日にしましょう。押さなくて良かったときっと思うはずです。

3、解決方法

 イスラエルの民は、どのように解決しましたか。
1)攻撃を中止する
2)早期に面会し、真意を確認する

それでイスラエル人は、祭司エルアザルの子ピネハスを、ギルアデの地のルベン族、ガド族、およびマナセの半部族のところに送り、イスラエルの全部族の中から、一族につき族長ひとりずつ、全部で十人の族長を彼といっしょに行かせた。これらはみな、イスラエルの分団の中で、父祖の家のかしらであった。(13~14節)

 中立的な立場の祭司ピネハスを中心とした調査団が派遣されました。すばやい行動、直接会う。この二点は人間関係トラブルを解消するために、極めて有効な方法です。

ピネハスたちは怒っており一方的に決め付けていた(16~20節)ので模範的な調査団とは言えませんが、率直に疑念を述べ、2部族半の真意を確認できたのは主のあわれみといえるでしょう。「きょう、私たちは主が私たちの中におられることを知った」(31節)という記述は、主の介入、主の臨在を感謝した言葉だといえます。

誤解すること、誤解されること。これは、生きてる限り避けられません。私たちの中におられる主イエスの助けがあれば、誤解問題に勇気と愛で対応できます。
最後に試されるのは、あなたの勇気です。ある神学者は、勇気とは神への祈りの中で告げられる恐れだと表現しました。目を閉じてあなたの正直な恐れと願いを神に告げ、目を開けたときには勇気を持って誤解問題に立ち向かいましょう。

→あなたの番です。
□直接会う
□事実を確認する
□謝罪する
□和解する
□主をたたえる

そこで、イスラエル品は、これに満足した。それでイスラエル人は神をほめたたえ(33節)