ヨシュア記23:1~16  右にも左にも



「歳を重ねて、老人になった」(2節)「見よ。きょう、私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。」(14節)ヨシュアは、いわば、遺言として23章と24章を全イスラエルの前で語りました。

よく出来た息子と問題の多い息子の二人を残し、世を去ろうとする実業家が遺言するとしたら、どんな言葉を残すでしょう。
優秀で信頼できる息子には、「後は頼んだぞ、お前に何も言うことはない、謙虚な心を忘れるな」と言うでしょう。その反対のタイプの息子には、注意と警告の言葉を残すでしょう。

ヨシュアはどちらのタイプの遺言を23章で残したのでしょう。厳しい警告からみて、後者です。イスラエルの民が堕落して神に背く可能性があるとヨシュアは見抜いていたのです。


1、戦われたのは主

あなたがたは、あなたがたの神、主が、あなたがたのために、これらすべての国々に行なったことをことごとく見た。あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主だからである。(3節)

戦いの主役は自分達ではなく神だったのです。このことを、イスラエルの民はしっかりと心に刻む必要がありました。

今年一年、あなたの戦いはどんな戦いでしたか。勝利できたなら、それは主のみわざです。主にあって、あなたは一騎当千の武将とされました。これからも、主に戦っていただきましょう。

 あなたがたのひとりだけで千人を追うことができる。あなたがたの神、主ご自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。(10節)



2、右にも左にもそれず

 水泳で難儀するのは背泳です。私が背泳ぎすると、プールの壁が近寄ってきます。私たちの信仰も曲がりやすいのです。

あなたがたは、モーセの律法の書にしるされていることを、ことごとく断固として守り行ない、そこから右にも左にもそれてはならない。(6節)

クロールで泳ぐなら私は曲がることはありません。理由は簡単です。底に見える線に沿って泳いでいるからです。信仰も同じです。右にも左にも逸れない秘訣があります。主イエスを見て、主イエスについていけばいいのです。主イエスも「ついて来なさい」と言っておられます。

 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12:2)

戦いが起こり、試練がやって来た時、私たちは主イエスから目を離して自分流の方法でその場を無理やり乗り越えようとします。場合によっては罪を犯したり、嘘をついたり、神を裏切ったりしてでも、自分を楽にしようとします。つまり、右や左にそれるのです。そういう時こそ、主にすがり、主を愛しましょう。

ただ、今日までしてきたように、あなたがたの神、主にすがらなければならない。(8節)

 あなたがたは、十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。(11節)




3、堕落の危険性

 ヨシュアが特に声を大にして語ったのは、堕落の危険とその結末です。

しかし、もしもあなたがたが、もう一度堕落して、これらの国民の生き残っている者、すなわち、あなたがたの中に残っている者たちと親しく交わり、彼らと互いに縁を結び、あなたがたが彼らの中にはいって行き、彼らもあなたがたの中にはいって来るなら、あなたがたの神、主は、もはやこれらの国民を、あなたがたの前から追い払わないことを、しかと知らなければならない。彼らは、あなたがたにとって、わなとなり、落とし穴となり、あなたがたのわき腹にむちとなり、あなたがたの目にとげとなり、あなたがたはついに、あなたがたの神、主があなたがたに与えたこの良い地から、滅びうせる。(12~13節)

もし、偶像の神に心を寄せ、この世の流れにどっぷりと浸ってしまうなら、最後に待っているのは滅びだとヨシュアは警告しました。「滅びうせる」(13、16節)、「根絶やしにする」(15節)と繰り返し言いました。
主は約束された良いことを一つ残らず実現された方なので、約束された滅びも確実に来るとヨシュアは念を押します。

 あなたがたの神、主があなたがたについて約束したすべての良いことが、あなたがたに実現したように、主はまた、すべての悪いことをあなたがたにもたらし、ついには、あなたがたの神、主が、あなたがたに与えたこの良い地から、あなたがたを根絶やしにする。(15節)

 ヨシュアはこの章で、「私の神」と一度も言いません。「あなたがたの神、主」という言葉を11回も繰り返しました。(3、5、5、8、10、13、13、14、15、15、16節)イスラエルの民に、信仰を自覚してほしいのです。私の神は生きておられるとはっきり分かってほしいという願いで、執拗に「あなたがたの神、主」という言葉を使ったのでしょう。

牧師の息子で大学を中退し俳優になったアメリカ人がいました。成功と不安を行き来し、やがては酒におぼれ、薬物に手を出し、大きな邸宅も人手に渡しました。クリスマスを前にして、妨害が入らないように家のドアを釘で打ちつけ、致死量の薬物を摂取しようとした矢先、電話がかかってきました。兄からでした。実家に集まりみんなでクリスマスをお祝いするところだ。母が夢を見て、お前が死のうとしていると言うんだ。こっちに来ないか。今、祈ろう。電話口で、彼は「罪人の私をあわれんでください」とだけ祈ったのですが、神に包まれるような温かさを感じ、人生の新しい一歩を踏み始めました。やがて実家に戻り、家族に支えらリハビリし、やがては牧師になりました。

ヨシュアは、外敵に勝利し、内部分裂の危機を乗り越えました。次の敵とは、自分自身の弱さなのです。私も、あなたも、神から離れ、軌道を離れやすい弱さを持っています。だから常に主イエスに目を向けていましょう。それたら、悔い改めて戻ればいいのです。

「主にすがらなければならない」(8節)
「主を愛しなさい」(11節)

 私のメッセージでの口癖は、「主は生きておられます」です。これは、いわば私の遺言のようなものです。私が死んだら、この言葉を思い出してください。(まだ死にませんよ)
「あなたの番です」という言葉もよく言います。神はあなたの神ですから、あなたなりのレスポンスをして下さいという意味です。
そして、私が、体全体、私の生涯すべてで語り続けたいことは、「あなたはやり直せる」です。どんな問題に出会っても、必ず立ち直れます。私は過去につぶれたことがあります。倒れたことも、死にたいと思ったことも、貧しくなったことも、明日の希望が見えなかった数年間も経験しました。でも、いける神が共にいて下さいました。神が私を励まし支えてくださいました。それで、立ち直れたのです。

さあ、あなたの番です。
□神が勝利して下さったことを振り返りましょう
□あなたは一騎当千の器にされました、神と共に戦いましょう
□道をそれたら、悔い改め、戻りましょう

「そこから右にも左にもそれてはならない。」(6節)