ヨハネ11:1~16  病気の知らせ



  今日は、3つのことを取り上げます。
第一に、主に愛されている人でも病気になる。
第二に、納得できなくても、神の言葉は神の言葉
第三に、病の目的は、神の栄光があらわされること。

 
1、主イエスに愛された者の病

さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。(ヨハネ11:1)

都エルサレムから3キロほどの町ベタニヤに、3人の兄弟、マリヤ、マルタ、ラザロが住んでいました。ラザロは、主イエスに愛された人(3、5節)で、「わたしたちの友」(11節)とイエスさまに言われています。

そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」(ヨハネ11:3)

 「あなたが愛しておられる者が病気です」という言い方に、マリヤたちの気持ちが表れています。困惑と怒りが隠れています。マリヤとマルタが信仰の危機にあることが見て取れます。
なぜですか。何かの間違いです。おかしいです。そんなこと、あるはずがありません。主イエスさまが特別に愛して下さっていたラザロが病で苦しむはずがないと訴えていました。

 86歳のシスター、渡辺和子(1927~)さんは、ボストンの大学で博士課程で学び、36歳という異例の若さで岡山のノートルダム清心女子大学の学長に就任しました。50歳の頃、渡辺シスターはうつ病になりました。とても苦しんだそうです。つらくて自殺すら真剣に考え、神さまをうらみました、とも言っておられます。
 クリスチャンの精神科医が、信仰とうつ病は何の関係もない、恥じることはない、と言ってくれて本当に慰められたとシスターは語っています。
なぜですかと後ろ向きに悩んでいたシスターでしたが、何のための病なのか、何のための苦しみなのかと、積極的に目的をとらえていく視点が与えられたそうです。

神に愛されている人でも病になります。
あなたが信仰を持っていても病気になります。
何も悪いことをしていなくても、病になることがあります。
それは、事実なのです。



2.納得できなくても、神の言葉は神の言葉

 イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」(11節)

 眠っています、という言葉は、14節によると死んでいるという意味でした。弟子たちにとって、ラザロの死という事実は大きな衝撃でした。弟子の一人、トマスは、悲しみに圧倒され、自分を失って16節の言葉を思わず口走りました。

 17節によると、主イエスが到着した時にはラザロが墓に入って4日たっていました。ですから、マルタとマリヤが使いを出してすぐにラザロは死んだと思われます。冷たくなったラザロの遺体の前で呆然としていたマルタとマリヤのもとに使いの者が帰って来たことでしょう。主イエスは来てくれなかった。悲しみに失望が重なった彼女たちに、使いの者は主イエスの言葉を伝えたはずです。でも、マルタとマリヤには空しく響いたことでしょう。

イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(4節)

 主イエスは、死で終わらないとはっきり言っておられましたが、彼女たちは聞き取ることができません。

神のことばは、納得できたから真実になるというものでもありません。マルタとマリヤが納得できなくても、受け入れられなくても、神の言葉は神の言葉というだけで真実なのです。
 
 

2、神の栄光のための病

ラザロの病に目的があったのです。ラザロの死にすら意味がありました。それは、神の栄光のためだったのです。

イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(4節)

神の栄光とは何でしょう。
それを見たり体験して、神は本当にいるんだ、と心で深くうなずいた状態と言い直してもいいでしょう。神の力は何と偉大なんだろう、私はなんとちっぽけなんだろう、と神の大きさに圧倒され謙虚になった体験を、神の栄光の体験と言ってもいいでしょう。

 NBAバスケットボールの選手のジェレミー・リン選手は昨シーズン大きな話題になりました。台湾系アメリカ人のリン選手は、大きな黒人選手の中で小さくきゃしやに見える選手。ハーバード大学を卒業した優秀な生徒で、将来牧師として奉仕したいというクリスチャン。2つのチームに入りましたが解雇され、ニューヨーク・ニックスに入っても出番がなく、選手仲間のリビングのソファーで眠った翌日、怪我した選手の穴埋めとして201224日の試合に急遽出場して大活躍、一躍スターとなりました。リン選手は、試合後のインタビューでも、神の栄光のためにプレイしていると語りました。リン選手の場合、どん底で神から出場チャンスをもらった事自体に神の栄光があらわれ、さらに、試合で大活躍したことによって神の栄光が表れ、インタビューで神のあかしをして栄光をあらわしました。彼は、選手生活を終えた後も神の栄光をあらわすでしょう。

神は、神を愛する者の病の中に、神の栄光をあらわして下さいます。
神に愛されている者の試練の中に、神は神の栄光をあらわして下さいます。
神が愛してやまない者が死んでしまっても、神は栄光をあらわして下さいます。

あなたは、それを信じますか。

私の人生を通して、神の栄光をあらわして下さい、と積極的に祈りましょう。また、私の病と通して、さらに、私の死を通しても神が栄光をあらわして下さるようにと祈りましょう。

 →あなたの番です
 □主に愛されている者でも病の中、試練の中を通ることがある
 □主イエスは、私たちの苦しみを知っておられる
 □病の中に、涙の中に、神の栄光は必ずあらわされる

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。(第1ペテロ5:10)