第1テサロニケ2:1~20 母のように、父のように


 人を育てる。
 生きていく限り、誰もが会社や家庭で人を育てる立場に立ちます。どうやって人を育てればいいのでしょうか。母のように、父のように、そして、みことばを植え付けることがパウロが人を育てる方法でした。

背景の説明

 使徒17章によると、テサロニケでは、主イエスを信じたなら即、迫害の対象になりました。たとえばヤソンは、ならず者に家を荒らされ、無実の罪で官憲に突き出され、意味不明な金まで払わされました。

 パウロの敵対者は、テサロニケ伝道が無意味だったとか、パウロはテサロニケ人のことより自分の成果にしか興味がなかったと強く非難しました。それでパウロは、1~6節でテサロニケ伝道の動機が純粋であり、迷いやだまし事やむさぼりとは無縁だと反論しました。また、使徒の権威を乱用せず、母のように、父のように育てたと語りました。
 13~16節において、テサロニケ人が受けた迫害と、エルサレムの人々が受けた迫害は良く似ており、ユダヤ人は神の怒りを積み上げていると語りました。

1、母のように

それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。(7~8節)

 母の特徴は、第一に優しさ、第二に与える、です。
 母の優しさには、平安、落ち着き、満足、愛が込められています。小さな子供が母親のもとに走り寄ると、いつも大きな優しさに包まれます。

 「私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。」とあるように、母の愛は与える愛です。目や耳を向け、時間、お金、体力、気遣い、食べ物を子供に与えます。

 今週、今週、身近な人に優しさで包み、あなたの持っているものを与えましょう。失敗をした相手を受け入れ、意気消沈した人の傍らに座ってみましょう。


2、父のように

また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。(11~12節)

父の特徴は何でしょう。第一に方向性、第二に励ましです。

「ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし」とあります。神にふさわしく歩めと教えるのが父です。つまり、人生の目的、目標、使命、アイデンティティーなどに関わる分野で、方向性を示すのです。

人生には、逆風、挫折、誘惑、暗闇がありますが、励ますことが父親の仕事です。勧め、慰め、命じるのです。パウロは、テサロニケに滞在中、迫害を受けながらも天幕作りの仕事を行い、逆風に負けない父親像を見せています。

父性の乱用は、暴力や怒鳴り声に表れます。暴君ではなく、優れたコーチを目指しましょう。子供が転んだ時に走り寄って「痛いの痛いの飛んでけ」と言うのではなく、子供が立ち上がった姿をほめるのが父親です。

「あなたがたは世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)主イエスこそ人生における最高のコーチです。

今週、父親的な目を持って、方向を示し、励ましましょう。


3、神の言葉は、生きて働く

こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。(13節)

「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」(13節)牧師の仕事は、人々の心に神の言葉を蒔くことです。牧師の言葉は消え、聖書、神の言葉が残るなら、それで牧師は満足です。

「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:11)

神の言葉を人々の心に届けましょう。それが、人を育てます。必ずいつか、芽を出し、花を咲かせます。

 それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました。私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。(18~20節)

パウロはテサロニケを再訪するつもりでした。2度計画しましたが、どうしても実行できなかったと述べました。これを聞いただけで、テサロニケの人々は涙したことでしょう。パウロが命を捨てる覚悟でテサロニケに来ようとしてくれたからです。
さらに、パウロが最後に言ってくれた言葉にどれほど心を打たれたことでしょう。テサロニケの人々を誇りに思うとパウロが言ってくれたからです。

アメリカの小学校で子供の作品展がありました。どう見ても、大人の作った立派な作品ばかりでした。でも、子供たちは自分を助けてくれたお父さんを誇らしく思いながら、自分の工作の前に立っていました。あるお父さんは、「こら、手を出すな。お父さんが作っているから邪魔するな」と作成中に子供を叱ったそうです。

私はおまえを誇りに思うよ、と子供たちに言ってあげましょう。人前でも、人がいなくても、おまえは私の喜びだと言ってあげましょう。心からの言葉は子供に届きます。

徴兵制の韓国でキム・ソンスクさんが軍隊に入りました。珍しく父親から手紙が来て、元気か、体は大丈夫か、きつい仕事だろうと励ましてくれたそうです。返事を書いた後も、何度か手紙を父に出しましたが、返事はもらえませんでした。休暇で実家に帰ると、脳卒中で右半身不随になって横たわっている父に対面しました。会話が不可能になった父は、左手でノートを指さしました。中を見ると、1ページ全体に息子の名前が大きく書いてありました。よれよれした文字は左手で書いたからでした。次のページも、同じく、大きく自分の名が書いてありました。その次のページもそうでした。父は、こうして、息子に返事を書いていたのです。

私たちの神も、私たちの名を呼び、わたしもお前を誇りに思うと伝えてくれる方です。だから、私たちも、誰かを優しさで包み、励ましの言葉を伝え、神の言葉を心に灯しながら、誰かを育てましょう。そして、私はあなたを誇りに思うとしっかりと伝達しましょう。

→あなたの番です
 □母の優しさで人を包もう
 □父の力強さで人を励まそう
 □神の言葉を人の心に蒔きましょう