コロサイ4:1~18 心に残るアドバイス


 1863年11月、リンカーンはゲティスバーグで演説しましたが、エドワード・エヴァレットという人が2時間近く熱弁を振るった後に行われたものでした。人民の人民による人民のための政治というフレーズが後世に残った有名な演説ですが、わずか2分間で終了したのです。
 今日はパウロの短い助言に目を留めましょう。短い言葉は、私たちの記憶に長く留まります。

1、祈りなさい、祈って下さい

日本を離れアメリカに旅立つ時、空港で親から言われた短い言葉を忘れないものです。
パウロも手紙の最後で短いアドバイスを3種類残しました。たゆみなく祈れ(2節)、親切で塩味のきいた言葉を心がけよ(6節)、受けた努めをしっかり果たせ(17節)。

目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。同時に、私たちのためにも、神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように、祈ってください。この奥義のために、私は牢に入れられています。また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。(2~4節)

本論は終わりました。パウロはその本論で、御子について語り、空虚で幼稚な哲学への警告を鳴らしました。御子が世界を造り、御子により罪が贖われたのだ。だから御子に根差して歩み、新しいを人を着て、家庭で職場で信仰を実践するようにと語ってきたのです。

パウロが最後に付け加えたのは、祈りについての助言でした。「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい」祈りとは、自分の力への過信を捨て去り、謙虚になり、神の力と導きを求める姿勢です。
火のような伝道者パウロが、自分のために祈ってほしいと言うのです。自分の弱さを本当に知っている人が、祈って下さいと言える勇気を持っているのです。

伝道したい人は祈りましょう。伝道の門、人の心は神だけが開いてくれます。知識の豊富さや弁舌で人をねじ伏せるのでなく、キリストだけを語り、聖霊に信頼し、神が先立って下さることを信じて福音を伝えましょう。


2、親切と塩味

外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。(5~6節)

主イエスは山上の説教で、「あなたがたは地の塩です」「あなたがたは世界の光です」(マタイ5:13、14)と言われました。その言葉をパウロらしく言い換えたのでしょう。不正と自己中心の世界に、正しさと愛が必要です。嫌われても正義を実行する実行力と自発的な愛が家庭に必要です。あなたの言葉と行動に、親切と塩味を忘れずに。


3、パウロを囲む人々

パウロのローマにおける軟禁生活は、孤独ではなかったのです。7~14節によると8人の仲間を確認できます。この手紙の共同執筆者はテモテなので、愛弟子のテモテを加えれば9人がパウロのそばにいるのです。

私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。(7~9節)

1)愛弟子     テモテ
2)忠実な奉仕者 テキコ
3)愛する兄弟  オネシモ
4)囚人      アリスタルコ
5)歓迎すべき  マルコ
6)激励する   ユスト
7)祈りに励む  エパフラス
8)医者      ルカ
9)         デマス

テキコは、パウロの代役としてコロサイ教会に出かける計画で、このコロサイ人への手紙を手渡す予定で、オネシモも連れていきます。オネシモは、コロサイから逃げて来た逃亡奴隷で、獄中でクリスチャンになり、立派な人物に生まれ変わっていました。

私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです。――この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。――ユストと呼ばれるイエスもよろしくと言っています。割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。あなたがたの仲間のひとり、キリスト・イエスのしもべエパフラスが、あなたがたによろしくと言っています。彼はいつも、あなたがたが完全な人となり、また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、あなたがたのために祈りに励んでいます。私はあかしします。彼はあなたがたのために、またラオデキヤとヒエラポリスにいる人々のために、非常に苦労しています。愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。(10~14節)

アリスタルコは、パウロの伝道旅行中エペソの暴動で捕らえられ苦難を経験した(使徒19:29)人物です。また、カイザリヤからローマまでパウロに同行し(使徒27:2)、恐らくパウロの奴隷という名目で身の回りの世話をし終始離れなかったようです。
マルコは、かつてパウロが脱落者の烙印を押したことのある若者でしたが(使徒15:36~41)、パウロから学ぶ者、また支援者となりました。マルコはパウロに謝罪したのでしょうし、パウロも成長したマルコを認めてくれました。
ユストは、パウロが心をゆるせる同国人のユダヤ人で、パウロを激励してくれました。
エパフラスは、1章で言及したとおり、コロサイ教会の開拓伝道をした伝道者で、今はコロサイの人々のためにとりなしの祈りに励んでいます。
医者ルカは、伝道旅行の途中からパウロに合流しローマまで同行しました。学識も地位も財も捨て、パウロという神の人を医学的に支えようとして最後まで離れませんでした。
デマスはしばらく後に脱落者になります(第2テモテ4:10)。パウロは彼の弱さも分かっていたので何のコメントも入れませんが、仲間はずれにしませんでした。

パウロの手紙の末尾にある挨拶部分を比較すると、コロサイ人への手紙ほど生き生きした描写は他にありません。まるで、幕末の私塾のように、あるいは、神学校の熱心な学生たちのような主への献身と情熱が感じられます。

いったいこの9人はなぜそこにいたのでしょう。パウロの何がそうさせたのでしょう。パウロに与えられた使命、パウロの信仰や情熱、パウロの人柄、パウロのビジョンが鍵でしょう。
逆に、パウロの病気や体の弱さや加齢や不自由な軟禁生活や殉教の可能性というマイナス要素がむしろ人々を引き付け、手足となって働きたい、パウロを支えたいという人々が集まってきたのです。コロサイの人々におなじみの人々が、主に仕えている姿そのものが輝いています。
あなたの周囲に誰かが集まってきますか。または、あなたは誰かの周囲に集まり、その人を支援し、その人から学び、共に主のために奉仕したいと思いませんか。スモールグループを作って互いに励まし合いましょう。


4、受けた努め

どうか、ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。この手紙があなたがたのところで読まれたなら、ラオデキヤ人の教会でも読まれるようにしてください。あなたがたのほうも、ラオデキヤから回ってくる手紙を読んでください。アルキポに、「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように。」と言ってください。パウロが自筆であいさつを送ります。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように。(15~18節)

コロサイとラオデキヤは16キロしか離れていません。それで、パウロの2通の手紙は両方で見せ合うことになります。
ヌンパはラオデキヤで伝道に励み、ヌンパの家で礼拝していたようです。アルキポはコロサイにいましたから、この手紙が公に読み上げられた、自分の名前が突然読み上げられたのでびっくりしたでしょう。
「主にあって受けた務めを、注意してよく果たすように。」アルキポはパウロのこの忠告を聞き、目頭が熱くなり、主への再献身を新たにしたことでしょう。パウロは自分の弱さを知っていても、受けた努めが中途半端で終わっているのに気付いていても、祈って励ましていてくれると分かったはずです。天からの啓示にそむかず、どのような困難にも立ち向かったパウロが、鎖の音をさせながらローマで応援してくれると分かったのです。
パウロは、自筆のサインを加えて手紙を閉じました。

 ある中年男性がいました。仕事に夢中で家を顧みず、外で遊んで酒の臭いをさせての深夜帰宅が続きました。息子たちの関係も最悪になり、妻にも見捨てられていました。その彼が、主イエスを信じ、罪を悔い改め、家庭を大切にしようと努力を始めました。家庭礼拝を開始した夜、息子に言いました。「父さんの直すところを言ってほしい」すると、黙っています。もう一度、何でも言ってほしいと語ると、目に涙を浮かべ、「父さんは僕を無視してきた。だから、父さんは嫌いだ」と言われました。父は、自分の至らなさを痛感して、土下座して謝りました。それ以来、父と息子の関係の修復が始まり、家庭が変わったといいます。
 人によっては、息子との関係修復が主から受けた使命なのかもしれません。あなたが主から頂いた使命は何でしょう。それを、主イエスの力を頂いて実現させましょう。

→あなたの番です
     たゆみなく祈りましょう
     親切と塩味を心がけましょう
     仲間を作り励まし合いましょう
     主から受けた努めを果たしましょう