ピレモン1~25 謝る事と赦す事


 謝ることと、赦すこと。どちらが難しいですか。
 ピレモンへの手紙は、赦しについて多くを教えてくれる珠玉の手紙です。
  
 
1、赦された人 <オネシモ>

 コロサイで暮らしていたオネシモという奴隷が、主人の家から逃げ、エーゲ海、ギリシャ、アドリヤ海、イタリヤと西へ西へと逃げ、最後は首都ローマで行き詰まり、パウロの牢獄に逃げ込みました。
 戦争に負けたり困窮した人々は奴隷となりお金で売り買いされたので、逃亡奴隷への処罰が死刑になることも珍しくありませんでした。

むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。(9~12節)

「獄中で生んだわが子オネシモ」と呼ばれたように、オネシモはイエス・キリストを救い主と信じ、生まれ変わったのです。心の態度が180度変えられました。
オネシモという名前は、本来は<有益>という意味ですが、主人の財産を持ち逃げしたので役立たずになりました。でも、イエスさまを信じて、名前の通りの役に立つ者になったとパウロは太鼓判を押しました。

オネシモは、主イエスの十字架による罪の赦しを体験しました。叱られる、罰を受ける、仲間外れにされると心配しましたが、大きな愛で包まれました。
この経験は、愛の人、赦しの人として生きるのに不可欠の体験です。赦された人だけが、人を本当に赦せます。


2、赦そうとした人 <ピレモン>

 ピレモンはコロサイ教会の中心的信徒の一人で、自宅を開放し礼拝をおこなって(1~2節)いました。ピレモンは、その信仰と愛(5節)において際立った人でした。パウロはピレモンから大きな霊的励ましを受けたと言っています。

 私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。(7節)

パウロは、「コロサイ人への手紙」をテキコに預け、コロサイに届けるように命じ、その際、オネシモをピレモンのところに連れて行くように指示しました。(コロサイ4:9)

 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。(15~17節)

ピレモンがテキコを迎えた時、オネシモが立っていたはずです。ピレモンは激しく動揺し、憤りを表したかもしれませんが、テキコは素早くパウロの手紙を手渡したはずです。

謝ることと、赦すこと。どちらが難しいですか。車をぶつけて「ごめんなさい」と言う場合と、へこんだ自分の車を前にして「いいよ」と言うことのどちらが大変かは、すぐに分かるでしょう。赦すほうが難しいのです。
赦しとは、被害を受けた人だけが行使できる愛の行為です。ピレモンは、オネシモより難度の高い信仰の決断を迫られました。

ピレモンは最終的にはきっと、逃亡奴隷のオネシモを抱きしめ、兄弟と呼び、新しい出発を祝福したことでしょう。オネシモも、非礼を何度もわび、涙で謝罪したことでしょう。

あなたは、誰を赦していませんか。お父さんですか、お母さんですか、配偶者ですか、子供ですか。一番身近な人を赦したら、あなたも相手も幸せになれます。


3、この人を赦して下さいと頭を下げる人 <パウロ>

パウロは、オネシモを高く評価し推薦した後にこう書き添えました。

もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。この手紙は私の自筆です。私がそれを支払います。(18~19節)

「私がそれを支払ます」手紙の中で、パウロが頭を深々と下げている様子が目に浮かびます。ピレモンへの手紙は、身元引受書であり、損害賠償支払い誓約書です。
他人の罪を引き受け、身代わりに謝罪した人、それがパウロです。パウロは、ピレモンがパウロの意を汲んでオネシモを赦してくれると心から信じました。きっと、そうしてくれる、パウロの心をリフレッシュしてくれると信じていました。

そうです。兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけて(refresh my heart in Christ)ください。(20節)

阿部寛のTVドラマ「結婚できない男」は笑ったり、ジーンときたりの良いドラマでした。いつも皮肉を言って、嫌われている主人公ですが、女性に真剣に言われる次のようなシーンがあります。いつも私たちはドッジボールのような会話をしているけど、本当は、あなたとキャッチボールがしたいの。
身近な人に強くて意地悪なボールをぶつけることが多いですね。だから相手も、もっと嫌なボールを投げ返してきます。その反対に、幼い息子とキャッチボールする父親は、息子が取れるボールしかなげません。もっと素直で温かい心のキャッチボールをしたいですね。そうすれば、あやまること、赦すことも自然にできます。場合によっては、その人の代わりに謝罪する役まで買って出るかもしれません。

赦された人。赦そうとした人。誰かのために頭を下げる人。あなたはどれになりたいですか。
「この手紙は私の自筆です。私がそれを支払います。」

→あなたの番です
 □ごめんなさいと言う人になり、赦しを体験しましょう
 □受けた損害を水に流し、赦す人になりましょう
 □誰かの失敗を肩代わりして、代わりに謝る人へと成長しましょう