第1コリント8:1~13 知識と愛



 「頭は良いけど、冷たいね」と言われたことがありますか。

1、知識は高ぶらせる

 <偶像にささげた肉を食べてもいいでしょ、偶像の神などいないのだから>という質問がコリント教会からあったようです。パウロの答えは、弱い兄弟を思いやって食べてはいけない、です。知識はあっても心の冷たいコリントのクリスチャンにパウロは伝えたい事があったので即答しません。

次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。(1~3節)

 「知識は人を高ぶらせ」とあります。頭脳明晰な人や知識豊富な人の心は、趣味などのコレクター、収集家に似ています。集める、所有する、分類する、見せびらかす、見下すという特徴があります。ソクラテスが言うように、知っていると思う人は何も知らないのです。(2節)
 あなたが積み上げてきたものはすべて、あなたを傲慢にさせる可能性があります。勉強したこと、仕事のキャリア、人生の経験、あなたの興味あること、蓄えた聖書知識すら傲慢の原因になります。

 愛は知識と違います。愛は、集めることに関心がありません。与えたい、共に時間を過ごしたい、理解したい、相手の喜びを自分の喜びにしたいのです。誰かを愛そうと人は、自分の貧しさや弱さを実感しているので、身近な誰かを喜べるのです。「徳を建てる」は英語聖書でbild upです。愛は、誰かの人生建築に役立つのです。

 屋比久勲さんは中学・高校吹奏楽部の指導者です。全国大会出場30回、全国大会での最高賞が14回という驚異的な成績を残しました。その上、怒らない指導法で知られています。屋比久さんは音大出身者ではなく、学生時代に音楽を専門に学んだことはありません。学校の先生になった後、吹奏楽部を作るので指導してほしいと言われて必死で勉強しました。吹奏楽指導者対象の講習会に何回も出席して生徒を指導しました。
 もし音大卒で、演奏が上手だったら、なぜこんなこともできないのかと生徒を見下げたかもしれませんが、屋比久先生は子供たちの成長を純粋に喜ぶことができたのでしょう。

 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」

 私は高ぶっているのでしょうか。誰かを見下げているのでしょうか。


2、神のために生きるとは

そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。(4~6節)

 パウロは、まだ回答を語りません。
 「私たちは」と述べて、コリント教会の知識のある人とパウロとの共通認識を語ります。偶像と呼ばれる神々は実際には存在しない。ゆえに、神々に備えた肉には何の変化も起きない。だから、偶像に備えた肉を食べる事に何の問題もないとコリントの人々は考えるが、パウロは違いました。

 私は私の所有者でないとパウロは6章で語り、わたしは配偶者のものだと7章で語り、8章では、私たちは主にある兄弟のために生きるのだと言いたいのです。
 「私たちもこの神のために存在しているのです」(6節)。われらは神に造られた存在なので、神のために生きるのです。その姿勢は、弱い兄弟たちへの愛となって表れるのです。

 

3、弱い兄弟のため

しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。(7~9節)

 パウロはやっと回答を出しました。知識を持つ人が傲慢になり、権利を振りかざすのは止めなさい、弱い人をつまずかせず、愛で包みなさいと言いたいのです。

 知識を持っているクリスチャンは、偶像の祭司が祈祷し、偶像の神にささげた肉を、偶像レストランで平気な顔をして食べました。
ところが、かつて偶像を信じていたクリスチャン、偶像との関係を絶つのに苦労しているクリスチャンたちは、そんな様子を見て、信仰が揺さぶられ、自分も真似して、昔の状態に逆戻りしそうな人が出てきました。(10節)

その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。(11~12節)

知識があって冷たい人々は、主にある兄弟に罪を犯し、キリストに罪を犯しているとパウロは警告しました。パウロは、弱い兄弟への愛ゆえに、偶像にささげた肉は食ないと自分の胎度を明確にしました。(13節)

 私達にとって、偶像の肉とは何でしょう。

私たちがヘルプすべき、弱さをもった仲間とは誰でしょう。

敬愛する杉村牧師から以下の事実を教えて頂きました。
今から20年ほど前、キャビン・アテンダントのグレイスがアルコール依存で苦しんでいました。集中治療を経て普通の生活に戻れたのもつかの間、勤務後にロサンゼルス空港の通路を歩いていた時、無性にアルコールが飲みたくなりました。生活すべて犠牲にしてでも口に入れたと思うほど強い衝動でした。それで彼女は、「ビルWの友達の方は12番ゲートまでお越しください」という管内アナウンスをしました。ビルWとは、アルコール依存者のサポートグループAAの創始者ビル・ウイルソンのことで、これは緊急援助を求める暗号でした。
 するとどうでしょう。15人が彼女のもとに集まりました。見ず知らずの人たちですが、同じ苦しみを体験している仲間でした。その内の2人は自分の飛行機までキャンセルして来ました。どんなにグレイスが励まされたか想像できでしょう。

 さあ、私たちの番です。偶像の肉で心が動揺しているクリチャンがいたら、目の前で肉を食べるような冷たい事はしてはいけません。自分の権利を捨てて、助けに出かけ、手を握り、共に祈り、具体的な援助を差し出しましょう。私たちは、弱い兄弟のために生きるのです。

 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1節)

 →あなたの番です
 □知識で高ぶるのはやめましょう
 □周囲の人の徳を高め、具体的にサポートしましょう