第1コリント4:1~21 オヤジの鉄拳


 この4章は、いわば、オヤジが息子を一発ぶんなぐったようなものです。パウロは、頭に来ていたのです。オヤジとしての熱い説教を心して聞いて下さい。

1、オヤジの鉄拳

たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。(15~16節)

 コリントで福音を語り1年半かけて教会を組織したパウロはコリント教会の父親です。パウロが下町のオヤジなら、こう言うだろうと想像して、以下のように4章を言い換えてみました。

神さまの評価だけが俺の関心事だから、お前らの評価なんてどうでもいい。神の奥義の管理を任されて、ガレー船のこぎ手のような心でイエスさまにお仕えしているんだ。いいか、傲慢にだけはなるな。1000年早い。俺たちの知識は全部もらい物だから、人を見下すなんて、ちゃんちゃらおかしい。(1~7節)
皮肉を言わせてくれ。お前らはまるで王様気分で良いご身分だ。おいらは、時代劇でいえば市中引き回しの上、獄門、打ち首ってとこだ。馬鹿にされてきたよ、殴られたよ、ホント惨めなもんさ。でもな、そいつら相手に復讐したことはない、祝福してきたんだ。耐えてきたんだよ。分かるか。俺はお前らのオヤジだ。だから、俺の後を付いて来い。(8~16節)
舎弟のテモテにこの手紙を持たせ。ヤツの言葉を俺の言葉だと思って聞け。俺が行かないと踏んでなめてるヤツがいるなら、すぐにも行くぜ。そん時は、口先だけのごたくを並べる奴らに、「神の国」の力をしかと見せてもらうか。俺がどんな態度で行くかは、お前らしだいだ。(17~21節)

パウロの気持ちは、これぐらい激高していたはずです。この箇所のパウロの言葉は論理というより、勢いに意味があります。皮肉が出たり、自分の弱さを披瀝したり、父親風を吹かせり、強い態度に出てみたり、みんな、みんな、パウロの熱い心なのです。言い換えれば、パウロは、コリントの教会の人々を誰よりも愛していたのです。
時には、あなたの本心を、体ごとぶつけて誰かに伝えても良いと思います。いかがですか。



2、心に染みる言葉

 4章の中から、心に残したい言葉をピックアップしました。

1)高慢にならない

さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。(6節)

 高慢にならない。それが大事です。特権階級意識を持って、一つの勢力を作って、別なグループを批判するなら、それこそが高慢の印です。むしろ、自分が持っているモノは全部借り物だという謙虚な認識があるなら、高慢を避けられます。
 
いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(7節)
 

2)耐えて祝福する

今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。(11~13節)

 パウロは自分の過去をふり返り、何をしてきたかを披露しました。福音を語ったため迫害を受け、ひどい生活苦を経験しました。この世の人からは、ゴミのように映ったでしょう。
でも、パウロは胸を張っています。主イエスが山上の垂訓で教えてくれた事を、ほんとうに実践しているからです。


3)私にならう者

ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。(16節)

「私のようにはなるな」と後悔を込めて子供に言う父親がいます。「そうだ、そのとおり」と横で力説する母親がいます。パウロはその逆です。コリント教会の父親として、私の真似をしなさいと言いました。私と同じにすればいい。そう言えるキリスト者になりたい。私は、そう思います。


4)神の国は力

神の国はことばにはなく、力にあるのです。(20節)

 傲慢で人を見下し分裂させる人は、単なる破壊者であり、何も生み出しません。知識を知っている、というだけでは何の力もありません。
神の言葉を受け入れ、聖霊に身をゆだねた人が、世界を変えていきます。そこには、赦しがあり、平和が生まれ、福音が語られ、励ましと助け合いがあり、正義が育ちます。神が生きて働いていることが、家庭でも職場でも可視化されます。神を愛す人々によって神の国は目に見えるようになるのです。まさに、神の国はことばにではなく、力にあるのです。


 →あなたの番です
 □全部もらいものなので、謙虚に生きる
 □他者を祝福する人になり、神の国の力を体現する人になる
 □私のようになればいい、と言える人になる