創世記17:1~27 エル・シャダイ


1、全能の神

アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。(1節)

今まで神は、「わたしの示す地へ行きなさい」(12:1)と語る<導きの神>であり、「わたしはあなたの盾」(15:1)と語りアブラムを<守る神>であり、アブラムの子孫が夜空の星のように増えると述べて<約束される神>(15:5)でした。今回、神は<全能の神>として新たにご自分をアブラムに示されました。

全能の神。ヘブル語ではエル・シャダイ。神に不可能はない。アブラムは、全能の神を目の前に置いて歩み、全き者として歩むことが求められました。
アブラムの人生という文脈で1節を注意深く読んでみましょう。そうすると、「全き者であれ」という意味が道徳的に完全にきよくなれという意味ではなく、神を全能者として全幅の信頼を寄せることだと分かります。
アブラムにとって全き者であるというのは、99歳の自分と90歳の奥さんから子供が生まれると神が言われたなら、その通りに信じるという生き方です。

あなたの番です。お金、人間関係、仕事、健康など、とても現実的な問題の中で、神が全能の神であることを信頼しましょう。全能の神は、驚くようなことをして下さいます。

今まの人生で一度だけ、くじに当たって一等賞をもらったことがあります。ハワイ旅行お二人さま無料招待が当たったのです。日本がバブルで浮かれた時期のことでした。妻と娘がハワイを堪能して帰って来てしばらくして、ハワイの教会に赴任するという話が舞い込んできました。神は、妻と娘が不安にならないように、あらかじめハワイの下見をさせて下さったと今では考えています。全能の神が、微笑んでハワイ旅行を下さいました。


2、名前の変更

神は、次に、アブラムの名前を変えました。名前の変更は内面を変えます。

「わたしは、この、わたしの契約をあなたと結ぶ。あなたは多くの国民の父となる。あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。(4~6節)

「多くの国民の父」、それがアブラハムという新しい名前の意味です。妻が夫を呼ぶ時は、「多くの国民の父」、ごはんができましたよ、と呼ぶわけです。アブラハムはそう呼ばれることによって、父としての自覚が生まれてきます。まだ、子供もいない時に、それも高齢で。
 
 神は、私たちに新しい名を下さる方です。あなたは、どんな名を神からもらいましたか。今の年齢が何歳でも、今どんな立場にいても、神はあなたの人生をリスタートできる方です。


3、割礼

次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。」(10~12節)

割礼は、生後8日の赤ちゃんの男性性器を包む皮の先端を切り取るという儀式です。現代アメリカでは、男子の赤ちゃんが生まれると医療処置として行われることが多いです。

 割礼の第一の意味は、神の約束を体に刻み付けて、子々孫々と忘れないためです。
また、性器に印を残すのは、子供が生まれることや家族の繁栄は人間の欲望の結果ではなく神の守りと約束のうちにあることを忘れないためです。
アブラハムとイシュマエル、家族内のすべての男性が割礼を受けました。(23~27節)

現代のクリスチャンにとっては、バプテスマが割礼の意味に近いように思います。神の民として歩みます。神と神の約束を信じます。神の愛と恵みによって、新しく生まれ変わりました。バプテスマはそうした意味を体全体で感じられる儀式です。



4、信じきれない夫婦

また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」そして、アブラハムは神に申し上げた。「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように。」(15~18節)

サライも新しい名を神からもらいました。「サラ」、王女という意味の名前です。サラは国々の母になるのです。
それを聞いて、アブラハムは思わず笑ってしまいました。99歳の私と90歳の妻から子供が生まれるはずはない。悪い冗談だと思ったのです。奴隷女ハガルから生まれた息子イシュマエルは13歳になっており、背丈も母より高くなっていたかもしれません。アブラハムはかなり真面目になって、このイシュマエルを正式な息子と認めて下さいと願いました。全能の神を信頼できなかったのです。

すると神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。」(19節)

神は、男の子が確かにサラから生まれるので、イサクと命名するようにと言われました。実に意味深な名前です。イサクとは、ヘブル語で笑いを意味します。あり得ない、生まれるはずがない、親ですら笑ってしまったという笑いです。全能の神によってサラから赤ちゃんが生まれる日には、今度は両親が笑顔になるのです。神も微笑んで下さいます。
全能の神は、冷笑を歓喜に変えることのできる方です。私たちの人生にも同じことが起きます。ありえない。不可能だ。希望はない。そう断じていたあなたの人生に、神は予想を超えた輝かしい未来を用意して下さいます。あなたは、信じますか。全能の神を。

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」(1節)全能の神を信じて歩み出し、大きな笑顔で満たされる日を信じましょう。

→あなたの番です
 □神は全能の神
 □神の下さった新しい名前で生きる □笑顔になる日が来ると信じる