創世記19:1~38 塩の柱


 今日のテーマは「滅び」です。

1、滅びから逃げる

 アブラハムを訪れた三人のうち二人がソドムを訪れましたが、創世記19:1によるとその二人は天使だったと分かります。ロトはソドムの門にいました。この時代、町の門に座る人は町の権力者を意味しました。9節から分かることは、古くからの町の住民からロトは成り上がり者としてねたまれていたようです。

 ロトは、二人を特別な人物と認識して歓迎し、食事を提供し、自宅で泊まってもらうことにしました。夜がふけると、ソドムの町の大勢の男達がやって来て、「ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」(5節)と言って、二人の客人を差し出すように迫りました。知りたいとは性的な意味合いを持つ言葉なので、ソドムの町の人々がどれほど堕落していたかが分かります。

 ロトが御使いを助けようとした熱意は認めますが、未婚の娘二人を代わりに差し出すという姿勢については私たちは納得できません。ロトに危険が迫ると、二人の御使いはロトを助け出して家の中に招き入れました。御使いは、群集の目が見えなくなるような特別な目つぶしをくらわせました。(6~11節)御使いは、ソドムを滅ぼすために来たとロトに伝えました。

 「 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが主の前で大きくなったので、主はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」(13節)

 <滅び>には、二種類のタイプがあります。
 他者の邪悪な行為によって滅ぼされる場合。もう一つは、自分自身から出た有害な事柄によって自ら滅ぶ場合。ソドムは自分達の罪が原因となって滅びを避けられませんでした。
 いじめで自殺する子供たちは、他者の悪による滅びです。アルコール・薬物・ギャンブル依存の人たちは、後者の場合です。

 あなたは、今、滅びの危険を感じていますか。
 外部からの圧迫がひどすぎると、被害者はもう終わりだと思い詰めてしまいます。覚えてほしいことは、いじめでも、ブラック企業でも、カルトでも、多重債務でも、家庭内暴力でも、夫婦関係の破綻でも、様々な依存症でも、必ず脱出の道があるということです。

あなた自身の罪から出た問題でも、神は助けて下さいます。邪悪な人々の虜に捕えられても、脱出の道はあります。滅んではいけません。逃げ出しましょう。


2、アブラハムゆえのロトの救出

ロトの娘の夫たちはこの話を冗談だと聞き流し、滅びました。(14節)

夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。――主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」(15~17節)

御使いたちはロトたちの手を握り、無理やり走り出しました。それは、「主の彼に対するあわれみ」(16節)によるものです。
主イエスを信じた私たちは、それと同じようにして救われたのです。あなたの身近にいたクリスチャンが、しつこいくらいの愛を持ってあなたの手を無理やりつかんで主イエスのもとに連れて来てくれたのです。

「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。」(17節)逃げる時は、未練を残してはいけません。罪と欲望の町は滅びるしかないのです。それを惜しんで振り向くなら、ソドムと同じ滅びを身に受けます。ロトの妻は、後ろを振り返ったので塩の柱になってしまいました。(26節)

主が硫黄の火を降らせたので、遠くから見るとソドム一帯はかまどの煙が上がるようでした。(24、28節)その光景をアブラハムは住まいのある山地から目撃しました。

こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。(29節)

29節によれば、ロトが救い出されたのは、ロトが正しかったせいでも、ロトが信仰深かったからでもない事が分かります。主がアブラハムと結ばれた契約のゆえにロトが救われたのです。祝福がアブラハムを通して周囲の人々に流れ出たのです。
 私たちも同じです。私たちの良い行いによるのではなく、主イエスの十字架の死によって救われたのです。

 主イエスは、天から火が下りソドムが滅ぼされた出来事について言及され(ルカ17:29)、「ロトの妻を思い出しなさい」(ルカ17:32)と警告されました。

 アーロン・ラルストンは2003年、ユタ州のキャニオンランズ国立公園で滑落、深くて狭い岩の裂け目で右手が落石の下敷きになり身動きがとれなくなりました。5日間そこを動けず、食料も水もなくなり、命が尽きる予感がしました。ついに6日目、右手を小型ナイフで切断しました。それで救われたのです。アーロンは、切り離した痛みの中であっても、心は大きな歓喜を経験しました。

 主イエスの体に釘が打ち込まれ、血が流され、主イエスの最後の息が終わった時に、私たちは罪から救われ、滅びからまぬかれたのです。以下のことばを心に留めましょう。

 「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。」(17節)
 「主の彼に対するあわれみによる。」(16節)

 →あなたの番です
  □滅びに気づき、滅びから逃げ出そう
  □救いは神のあわれによる