創世記20:1~18 同じ失敗


 同じ轍を踏む。二の舞を演じる。
 これは、同じ失敗を繰り返すということわざですね。創世記20章を読みながら、同じ失敗を繰り返したアブラハムと自分の姿を重ねて考えてみましょう。

 ところで、小説家の村上春樹はアメリカ東部に約2年滞在し、その経験を『やがて哀しき外国語』に書いていますが、次の言葉は示唆に富んでいます。「外国で暮らすことのメリットの一つは、自分が単なる一人の無能力な外国人、よそ者でしかないと実感できることだ。」村上氏も自分の言いたいことの二割しか伝えられず、差別を受けたり、だまされたこともあったといいます。何もかも剥ぎ取られたゼロの、裸の自分になれることが貴重な経験だと、村上春樹は書いています。惨めな体験が、自分の本来の姿に出会うチャンスにもなります。

 外国に住まなくても、同じ失敗を繰り返す体験は、隠れていた自分本来の姿に出会うチャンスになります。その失敗が身近な人に知られ、恥ずかしくて、血の気が失せてしまう経験。これも、何もかも剥ぎ取られてゼロになる体験です。
 失敗なしに生きることは不可能です。恥ずかしい失敗をしてしまったら、何を学習するか、どのようにそこから立ち上がるかが大事なのです。

1、失敗、叱責、助け

アブラハムは、そこからネゲブの地方へ移り、カデシュとシュルの間に住みついた。ゲラルに滞在中、アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です。」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。(創世記20:1~2)

 ソドムが滅ぼされた姿を目にしたくなかったのでしょう、アブラハムは山を降りて南西側のペリシテ人の平原に移動し、ゲラルに住みました。そこで、妻のサラを妹と偽るという、失敗をしました。創世記12章で、アブラハムはエジプトにおいても同じように嘘をつきエジプト王とトラブルになっていました。つまり、同じ失敗を繰り返したのです。

今回は、ゲラルの王アビメレクがアブラハムの妻サラを宮廷に召抱え、まもなく王の正式な妻となる運びとなっていました。アブラハムはどんな気持ちで、この成り行きを見ていたのでしょうか。

神は夢の中で、彼に仰せられた。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」(6~7節)

 アブラハムは今回のトラブルに際して、何もしていません。何もできなかったのです。神が主導権を取って解決して下さいました。神がアビメレク王の夢に現れ、事実を明らかにし、サラを無事にアブラハムに返し、危害を加えないように命じました。その結果アビメレク王は、神の語り掛けを厳粛に受け止めました。(8節)

 それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。あなたが私と私の王国とに、こんな大きな罪をもたらすとは、いったい私がどんな罪をあなたに犯したのか。あなたはしてはならないことを、私にしたのだ。」(9節)

自分が悪かったときに叱責を受ける。それは、とても大事です。アビメレク王はアブラハムを厳しく責めました。神は、アビメレクの口を借りて、神の叱責の言葉を語っておらるように見えます。

本当に不思議なことですが、アビメレク王はアブラハムを罰する代わりに領内におけるアブラハムとサラの安全を保障し、サラをアブラハムに返し、多数の家畜や銀まで与えました。(14~16節)
アブラハムは、アビメレク王からもらった家畜や財産を見るたびに、恥じ入り、同時に、深く神に感謝したことでしょう。神は、失敗を恵みへと変換して下さったのです。

あなたの番です。恥ずかしい失敗をしたにも関わらず、あわれみをかけてもらったり、助けられた経験がありますか。それは、主です。主があなたを守り、助け、恵みを下さったのです。その主に感謝と賛美をささげましょう。

今、失敗の只中にいますか。主の守りと助けを信じて待ちましょう。自分の失敗をうやむやにしたり人のせいにせず、自分の失敗を認め、悔い改めて、神にゆだねましょう。


2、祈ったアブラハム

そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった。(17節)

神は、アビメレク王の夢の中でアブラハムの本当の姿が何か、アブラハムの使命が何かを告げました。アブラハムは「預言者」であり「あなたのために祈って」(7節)くれる人物と紹介されています。17~18節によると、アビメレク王に赦された後、アブラハムはアビメレクと家族のために祈ったことが分かります。そして、その祈りはきかれました。

神は約束されたとおり、アブラハムを祝福する者を祝福され、アブラハムによって周囲の人々に祝福が及ぶようにして下さいました。「わたしはあなたの盾である。」(創世記15:1)の通りに主は守って下さいました。

 恥ずかしい失敗をして神の助けと守りを経験したゆえに、私たちは身近な人にも幸せになってもらいたいと願うようになります。あなたが神から受けた恵みが多ければ多いほど、誰かのために祈る人になります。
 
 「あの人は……あなたのために祈ってくれよう。」(7節)

 この恥ずかしい失敗をアブラハムは隠すこともできました。ですが聖書にこの記録が残っている理由は、アブラハムが子供や孫に失敗を話したし、話す必要を感じたからでしょう。失敗こそ最も多くを学べる機会だからです。

 アブラハム・リンカーンは苦労の多い人生を送りました。貧農の家に生まれ、9歳で母が亡くなり、小学校は1年間だけ通い、雑貨屋の経営に失敗し倒産し10数年かけて借金を返しました。婚約者に死なれ、心を患って入院、何度も選挙で落選したすえに51歳で大統領になりました。
 あなたの成功の理由は何ですかと尋ねられた時リンカーンはこう答えました。多くの失敗を繰り返し、様々な苦しさを経験しましたが、そのすべての失敗と苦しい経験が私を人間らしい人にさせてくれたのです。

 失敗がその人を築き上げます。恥ずかしい失敗をしたなら、大切なものをつかんでから立ち上がりましょう。

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

 →あなたの番です
  □恥ずかしい失敗をしたなら、謙虚に神の前に出る
  □神は、あなたの尻拭いをして下さるほど恵み豊かです
  □誰かの幸いを祈る者になる