マタイの福音書


 1年間の礼拝で聖書全巻を解説する「Read & Go!」シリーズを今日から始めます。
このシリーズでは、聖書の各書を1回で取り上げ、その書が一番何を伝えたかったのかという点にフォーカスします。最初は「マタイによる福音書」を取り上げます。

マタイが一番伝えたかった事は何でしょう。以下の3つのキーワードによって解き明かしたいと思います。救い主。神の国。弟子。


1、イエスは、旧約聖書が預言した救い主

「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイ1:21~23)

 マタイが何よりも一番伝えたかったのは、イエスが旧約聖書の預言した救い主である、ということです。
「この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」とあります。マタイは「ご自分の民」、つまり、ユダヤ人にぜひその事実を知ってほしかったのです。
ユダヤ人が一番納得する方法は旧約聖書による証拠なので、旧約聖書を多数引用しました。上記の箇所もその一つです。私は46箇所の引用箇所を確認しましたが、専門家は50以上あると言います。また、直接の引用がなくても旧約聖書に言及した箇所はさらに70箇所以上あるといいます。

主イエスは、処女マリヤを通して生まれ、ベツレヘムで生まれ、多くの人々をいやし、十字架で苦悩し、復活しました。そのすべては旧約聖書で預言されていた事だったのです。

マタイは、同胞ユダヤ人を熱烈に愛していました。私たちも、同胞日本人にまことの救い主を伝えましょう。


2、あなたが神の国を作る

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(5:4~5)

『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。(マタイ5:43~46)

御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行わますように。
(マタイ6:10)

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。(マタイ6:31)

さばいてはいけません。さばかれないためです。(マタイ7:1)

 当時ユダヤはローマ帝国に制服され、王国としての独立を失い、屈辱を受けていました。誇り高きユダヤ人は、神を中心にした王国の再興を願い、救い主がそれを実現すると信じていました。けれども主イエスは、まったく違う方法で神の国を作り始めました。

 主イエスは、色々なタイプの人の考え違いを教えを通して指摘しました。山上の教えで有名な5~7章をはじめとして、10章、13章、18章、24~25章で、本来の人間の姿を教えて下さいました。
 金や権力こそが人間の幸せと勘違いしている人には、心の貧しさを知っている人こそが真の幸せを見いだせると主イエスは語りました。頑張っているのに目が出ない人には、あなたはすでに世の光となっていると励ましました。形式的に律法を守って他者を見下している人には、殺人犯でないとしても心で人を殺せるよ指摘しました。自分勝手な願いしか頭にない人には、神のみこころがこの地上に行われるように祈れと言われました。心配症の人には、思い煩うな、空の鳥を見よと教えました。神の国を第一にすれば、必要は満たされると教えました。消極的で自身を失っている人には、求めなさい、そうすれば与えられるとエンカレッジしました。自己中心の人には、自分にしてほしい事を自分から進んでしなさいと命じました。

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。(マタイ7:24)。

「聞いてそれを行う者」とあります。主イエスの言葉を聞いただけでは、何の意味もありません。実行しなさいと主イエスは言われました。神の国はそのようにして広がるのです。まさに、<Read & Go!>です。
主イエスが父のみこころを行った時、神の国がこの地上に可視化されました。私たちが主イエスの真似をすると、同じ事が起きます。

あるクリスチャンの若い女性が、電車通勤しました。1年たって会社を辞める時に、電車で乗り合わせて人たちが彼女のために送別会を開いてくれました。なぜ、そんな事が起きたのでしょう。彼女が、朝、同じ車両で乗り合わせる人を風景の一部とせずに、自分から挨拶を始め、知り合いになり、人々が彼女によって励まされたからでした。電車の中に神の国が出現したのです。

 マタイの福音書には、珠玉の教えが多数記録されました。あなたに神の国を広げる一員になってほしいのです。それが主イエスの願いなのです。
 今週、あなたは何をして、神の国を広げますか。一週間に一つで構いません。あなたから誰かに関心を示し、挨拶し、親切にし、助け、応援しましょう。私も、先週、そうしました。



3、主イエスの弟子になり、また、弟子を作る

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。(マタイ9:9)

さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ(マタイ10:2~3)

取税人は、ユダヤ人全員から汚物のように嫌われていました。ユダヤ人から税金を集めローマに納める仕事でしたが、不当な利ざやを稼いでいたので嫌われました。売国奴とみなされ、会堂にも入れませんでした。現代風に言えば、振り込め詐欺の元締め、暴力団の会計士のような存在でした。

マタイは、自分が罪人であり、最低の人間だと分かっていたので12弟子のリストに「取税人マタイ」と書き込みました。これはマタイだけの記述です。人をだまし、人を脅し、金を懐に入れていた真っ最中に、主イエスに見つめられた、受け入れられた、弟子として呼ばれたという出来事が心底嬉しかったのです。「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」(マタイ9:13)と主イエスがかばってくれた言葉もマタイの宝となりました。取税人の自分が主イエスの弟子にしてもらえた。主イエスと共に過ごす中で自分の心も生活も変えられた。ならば、世界のどんな人でも主イエスの弟子になれる。マタイはそう考えたのでしょう。

マタイの福音書の最後に書いてあるのは、世界宣教と弟子作りです。これほど鮮やかに弟子作りの命令を記録したのはマタイだけです。
主イエスこそが旧約聖書が預言した救い主だと分かったならば、その主イエスを信じて神の国をこの地上に表して生きる人になりなさい、また、あなたと同じ心を持つ人をあなたが育てなさい。主イエスはそう言われたのです。

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28:19~20)

あなたが育てたい人は誰ですか。

 →あなたの番です
  □主イエスは旧約聖書が預言した救い主です
  □私が行動すれば、神の国がこの地上に見える
  □私が主イエスの弟子となり、また、身近な人や世界の人々を弟子としましょう