エレミヤ書


 ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。(エレミヤ9:1)

 預言者エレミヤが「涙の預言者」と呼ばれる理由は上記のことばで分かります。それだけでなく、「不屈の預言者」、「希望の預言者」という呼び名がふさわしいと私は思います。


1、苦しみ続けたエレミヤ

ベニヤミンの地アナトテにいた祭司のひとり、ヒルキヤの子エレミヤのことば。アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。(1:1~2)

エレミヤは伝統を重んじる祭司の家系に生まれましたが、新しい事を語りました。ヨシヤ王の時代から活動を始め、エルサレムが滅びる紀元前586年まで約40年間主の言葉を伝えました。

背信の子らよ。帰れ。わたしがあなたがたの背信をいやそう。(3:22)

エレミヤは、人々が偶像の神からまことに神に立ち返るようにと語りました。けれども人々は「前進するどころか後退した」(7:24)のです。

エフディが三、四段を読むごとに、王は書記の小刀でそれを裂いては、暖炉の火に投げ入れ、ついに、暖炉の火で巻き物全部を焼き尽くした。王も、彼のすべての家来たちも、これらのすべてのことばを聞きながら、恐れようともせず、衣を裂こうともしなかった。(36:23~24)

長年語り続けた神のことばをまとめて巻物にせよ、と主はエレミヤに命じました。書記バルクの手で筆記された神の言葉は、人々に語られた後、エホヤキム王もそれを聞きましたが、王はその巻物を暖炉で燃やしてしまいました。エレミヤは主に励まされ、もう一度、巻物を作りました。エレミヤ書が時間順になっていないのは、そうした背景があるかもしれません。

しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える民を、わたしはその土地にいこわせる。27:11)

バビロンによる圧力が強くなっていく中、偽預言者たちは人気取りのためユダの勝利を予告しました。一方エレミヤは、徹底抗戦すれば滅びる、バビロンのくびきに首を差し出して(27:11)降伏すれば生きると主のみこころを語りました。それゆえに反逆者と非難され、打たれ(20:2、37:15)、何度も殺されそうになり、バビロン軍に包囲された時は監禁されました。井戸に落とされて泥の中(38:6)にいた時もありました。

エレミヤは、預言者としての辛さを14、15、16章で語っています。20章では、自分の生まれた日さえものろったほどでした。


2、選びと使命

預言者として長年奉仕できた秘訣は何でしょう。それは、神による選びです。

「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」(エレミヤ1:5)

エレミヤは、イザヤのような自発的な献身によって預言者になったわけではありません。神の選びによって引き出されたのです。生まれる前から神に選ばれていた。神が必要としておられる。この事実はエレミヤを奮い立たせました。選びには、必ず神の目的があります。使命があります。神の命じた場所に行き、神のことばを残らず語るのです。神は、エレミヤを守り、危険から救い出して下さいます。この約束がエレミヤの支えでした。

そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」(1:6~8)

あなたも選ばれています。あなたにも使命があります。それは何でしょう。それを実行しましょう。


3、希望の計画

エレミヤは滅びを予告しただけでなく、希望を語りました。
エルサレムが完全に破壊される11年前の紀元前597年、王宮と神殿の宝が奪われ、エホヤキン王と指導者層が捕囚としてバビロンに連れて行かれました。エレミヤは、バビロンに連行された人々に手紙を書き、希望を伝えました。

イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」(29:4~7)

あなたが環境を嘆いたり、人を責めたりしているなら、そこはいつまでも荒野です。けれども、捕囚として連れて行かれたバビロンでも、前向きに人生をとらえ、家を建て、畑を耕し、子供を育て、いま住んでいる場所、働いている職場の繁栄を祈りましょう。

まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(29:10~11)

神は計画を持っています。私たちを幸福にする計画です。まず神は平安を下さいます。試練の中にいる人は、当たり前の静けさを望みます。神の計画は将来を与える計画です。悩みの中にいる人は、永遠の現在形があるだけで未来が見せません。神は希望を与えてくれます。絶望と暗黒の日々が希望に変わります。

70年たてば、エルサレムに戻れるとエレミヤは神の言葉を伝えました。ある人には長いと感じるでしょう。それは、人の一生分の時間で、三世代に及び期間だからです。それでも、ユダヤ人は70年を信じて、家を建て、畑を耕し、繁栄を祈り、ついに、エレミヤの約束は成就します。これは、小説ではなく、世界史で起きた事実なのです。

主は遠くから、私に現われた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。(31:3~4)

神の永遠の愛は、私たちを立ち直させてくれます。

主はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。――主の御告げ。――彼らは敵の国から帰って来る。あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。(31:16~17)

神がおられるので労苦には報いがあります。
エレミヤの教えを自分に適用しましょう。あなたがいる場所や家庭や職場をバビロンとして受け止め、家を建て、畑を耕し、繁栄を祈りましょう。

 →あなたの番です
  □平安と将来と希望の計画がある
  □家を建て、畑を耕し、繁栄を祈ろう
  □あなたは立て直される