使徒9:10~20 何を目指して

 「羅針盤シリーズ」が今日から5回連続でスタートします。
 ご存知のように、羅針盤は船に取り付けられた計器です。どんなに海が荒れても東西南北を教えてくれて、どこに進むべきか示してくれます。私たちの生活にも羅針盤が必要です。
 クリスチャンにとって最も基本的な価値とは何か、核となるものは何かを確認していきましょう。

 ところで、東京ディズニーランドのスタッフの一人は、大地震の際にお客さんを安全に誘導し、自分の判断で売り物だったお菓子を無料で配ったそうです。東京ディズニーランドの基本ミッションが「すべてのゲストにハピネスを提供する」とあるので、それを臨機応変に対応したのですね。

 さあここで、あなたは質問に答えてください。
  Q:クリスチャンとして、どんな基本姿勢を持っていますか。
  Q:あなたのモットーは何ですか。
  Q:死ぬまでに成し遂げたいことは何ですか。


1、アナニヤの基本姿勢

 ダマスコのクリスチャン、アナニヤは驚愕したはずです。神が突然語られたことも驚きですが、その内容がとんでもない内容でした。

 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、主よ。ここにおります。」と答えた。すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」(使徒9:10~12)

 まず、アナニヤの基本姿勢が立派です。主の語りかけを聞いたとき、「主よ。ここにおります」と答えているからです。いつでも主に従う用意ができています、という心の基本姿勢ができていました。

 ですが、悪名高い迫害者サウロを助けることには難色を示しました。それでも、神の説明を一旦受け入れると、自分が殺される危険を承知の上でアナニヤはパウロに会いに行き、主に言われたとおりを実行しました。(17~19節)

 アナニヤは、「兄弟サウロ」と第一声を発しました。殺人者であり、クリスチャンの敵を兄弟と呼ぶアナニヤはあっぱれです。
 アナニヤは、神から遣わされたという強い自覚を持っていました。これも、クリスチャンの基本姿勢としてとても重要な自己認識です。

 そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」(17節)

 →あなたの番です。
  神に従う備えができていますか。
  遣わされて今、生きていると自覚がありますか。



2、パウロの使命

 サウロは、ダマスコのクリスチャンを迫害するために道を急いでいました。町まであとわずかという時、まばゆい光に照らされ、声を聞き、倒れました。

 「彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞いた。彼が、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』」(使徒9:4~6)

 サウロは混乱したはずです。クリスチャン捕縛は神のみこころと思い込んでいて、神に逆らう行為だとは微塵も思っていませんでした。主イエスの突然の語りかけは、サウロの生き方を根底から揺り動かしました。
 サウロその時から、3日間盲目になりました。過去を見つめさせ、現在起きている事を思い巡らし、将来どう生きたらいいか、と真剣に考え、祈らせるための暗黒でした。私たちにも、こうした暗黒がやってくることがあります。それは、意義深い自己洞察の機会です。自分の基本姿勢を問い直すチャンスです。

 「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。『兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。』」(使徒9:17)

 アナニヤは、主から聞いたサウロの使命を伝えたことでしょう。

 「しかし、主はこう言われた。『行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。』」(使徒9:15~16)

 選びの器。そうです、パウロは国際的に活躍する伝道者としての資質を身に付けていました。王の前でも卑屈にならない生まれつきのローマ市民であり、第一級の学者です。ローマ社会の共通語ギリシア語に堪能で、ヘブル語の聖書や難解な専門書も理解する完璧なバイリンガルです。

 私は、主イエスの福音を全世界に伝えるために生きている。これが、パウロの基本姿勢ですね。

 パウロはやがてアンテオケ教会の牧師となり、教会を育てた後に、自らが宣教師となりローマ世界へと出かけて行きました。

 「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒20:24)

 私個人が心に持っている基本理念はこれです。
 <イエス・キリストはまことの救い主。主イエスを信じ、主イエスと歩み、主イエスのために生きる人生には永遠の価値がある。>

 あなたも、クリスチャンとしての基本姿勢をあなたなりの言葉にして、心に書き記してください。

 あなたの番です。
  □あなたが大事にしている信仰の基本姿勢は何ですか。
  □世を去るまでに、必ず成し遂げたいことは何ですか。
  □あなたの夢、ビジョンは何ですか。
  □今日できる第一歩は何ですか。

 
 

 

創世記35:1~12 ベテルに上ろう

 ヤコブの生涯シリーズの最終回になります。今日のキーワードは、ベテルに上る、です。

1、頭をかかえたヤコブ

 ヤコブは、人生最大の難関であった兄エサウとの和解を終えてほっとしたところでした。その後、ヨルダン川西部のシェケムに一家で住みつき、近隣のヒビ人との付き合いも始まったようです。
 祭りでもあったのあったのでしょうか、ヤコブの娘ディナは女性友達を訪ねにヒビ人の町に出かけました。ところが、ディナはその町の男に捕らえられレイプされてしまいます。(創世記34:1~2)
 ディナの直接の兄であるシメオンとレビは加害者の男を含む集落に住む男性全員を惨殺しました。(創世記34:25~31)

 ヤコブは頭を抱えました。娘は涙に暮れ、ショック状態です。息子たちは、父の不甲斐なさを怒り、憎しみの化身となりました。
ヤコブにはトラブルの原因が分かりません。これからどう生きたらいいのか分かりません。

 あなたは、ヤコブのように何かのトラブルに巻き込まれていませんか。子供の問題、親の問題、会社の問題、金銭の問題、人間関係の問題。

 主がどのように問題の糸をほぐしてくださるのか、今日の聖書箇所を大きな枠組みを手がかりに見つめてみましょう。



2、鍵を握るのはヤコブ

 「神はヤコブに仰せられた。」(創世記35:1)

 神は、ディナに何も言われません。問題の発端は彼女の行動にありました。神は、シメオンとレビにも注意をされません。どうみても過剰報復です。
 その代わりに、神は父親のヤコブに語られました。

 これが神の方法です。

 あなたが抱えている問題の種類によっては一概に言えませんが、あなたが問題解決の鍵を握っていることがあります。ヤコブの場合がそうでした。

 あなたの番です。解決の鍵を握るあなたに、神は語りかけていませんか。


3、ベテルとは何か

 「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。」(創世記35:1)

 神の助言はベテルに上ることでした。ベテルとはどんな場所か、創世記28:10~19に詳しく書かれてあります。20年以上前にヤコブが兄から逃げ出し旅先で神と出会った場所、それが、ベテルです。
 ベテルは、ヤコブがこの時住んでいたシェケムから南に直線距離で約30キロの地点にあり、シェケムより標高が高い場所にあります。

 ベテルは、ヤコブの信仰の原点です。神が生きておられると初めて体感した場所。心に届く励ましを神から受けた場所です。

 あなたがトラブルに巻き込まれたときは個別のトラブルに具体的に対処する必要がありますが、何よりも、あなたの信仰の姿勢を正すことが大切です。
 信仰の基本姿勢がずれていないか。生ぬるくなっていないか。傲慢ではないか。自己正当化に走っていないか。
 神は、ベテルに戻ることだけでなく、そこに住むように命じました。それは、信仰の原点に戻り、その状態を維持するようにとの教えでしょう。

 あなたの信仰の原点とは何でしょう。

4、ベテルに上ろう

 ヤコブは、息子や娘、使用人の前で自分の信仰の核心を語りました。

 「私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(創世記35:2)

 神は苦しみの時に神は私を見捨てなかった。主は私からかたときも離れなかった。その方を一番身近に感じたベテルに共に行こう。
 ヤコブのように、息子や娘に信仰のあかしを話せる父親は立派です。そういう父親が信仰のリーダーシップを家庭で発揮できる父親です。

 ヤコブは娘や息子たちを連れて、ベテルに移動し、祭壇を築き、神を礼拝しました。(創世記35:2~7)

 あなたの周囲で起きたトラブルの解決方法は、遠回りに見えても、あなた自身が信仰の原点に戻ることです。


 あなたの番です。
  □あなたの信仰の原点はどこにありますか。
  □信仰の原点に戻るため、具体的なアクションをしましょう。

創世記33:1~11 兄との再会

 ヤコブがエサウに再会する場面で、3つのキーワードに目を留めましょう。ひれ伏す、走り寄る、見上げる、の3つです。

1、ひれ伏す

 ついに兄エサウがやって来た。

 「ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。」(創世記33:1)
 
 ヤコブは、妻や子らを4グループに分け、最愛の妻ラケルとその子ヨセフを一番後ろに配置して、自らは前面に出てエサウに向かいました。

 「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。」(創世記33:3)

 ヤコブは、足を引きずりながら兄に近づき、7回も地にひれ伏しました。兄への尊敬の姿勢。過去の非礼に対する謝罪がそこに読み取れます。

 地にひれ伏している時は無防備です。矢が飛んできても構わない。首を切られても構わない。ヤコブの腹は恐らくそこまで決まっていたことでしょう。

 謝罪の基本は、自分の非礼を心から詫びることです。謝罪は、赦してもらうための手段ではありません。私たちの側が加害者だからです。

 「七回も地に伏しておじぎをした」

 →あなたの番です。
 あなたが、謝りたい人は誰ですか。地にひれ伏す心であやまりましょう。


2、走り寄る

 「エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。」(創世記33:4)

 思いがけないことが起きました。走り寄ったのは誰ですか。抱きしめたのは誰ですか。エサウの方です。最終的には、ふたりは抱き合いながら泣きました。

 あけっけないほどの、想像を超えた、結末でした。聖書の次の言葉を思い出します。

 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第1コリント2:9)

 約束は約束だ、俺が長男になった。オレを兄と呼べ。父の財産相続をもらいに来た。このようにヤコブが長子の権利を振りかざしたなら、流血の事態は避けられなかったでしょう。
 和解の鍵を握っているのは、あやまる人ではなく、赦す人です。

 薬物依存で刑務所から出てきた男がいました。姉から教会と牧師を紹介され、信仰を持ち、教会員になり、穏やかで優しい人に変えられました。
 仕事でオートバイが必要になり、父親が大事にしていた大型バイクを借りました。父は「わしのバイクを傷つけたら、家に帰ってこんでいい」と念を押しました。
 息子は本当に帰ってきませんでした。仕事を終えた帰り、他のバイクにぶつけられ死亡しました。警察にバイクを取りにいくと、ほとんど傷がないことに驚きました。父親は、「バイクなどどうでもよかったんだ。お前に帰って来てほしかった」とつぶやきました。

 →あなたの番です。あなたが、走り寄る番です。あなたが、誰かを抱きしめる番です。誰をゆるしますか。和解の鍵はあなたが握っています。


3、見上げる

 その後は兄と弟は穏やかな会話をしました。ヤコブは家族をエサウに紹介します。(5~7節)次に、財産の話題、つまり家畜の話題になりました。かつては、財産分与が争いの元だったので、扱い方によっては対立が再燃する危険がありました。

 エサウは「弟よ。私はたくさん持っている」(8節)とヤコブの贈り物を遠慮しますが、ヤコブは次のように返事をしました。

 「ヤコブは答えた。『いいえ。もしお気に召したら、どうか私の手から私の贈り物を受け取ってください。私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。あなたが私を快く受け入れてくださいましたから。どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。』ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。」(創世記33:10~11)

 「あなたが私を快く受け入れてくださいましたから」とヤコブは述べました。兄に赦された喜びに言及しています。その喜びの表れとして受け取ってほしいと懇願しました。ヤコブは、神の御顔をエサウの後ろに見ています。神の特別の介入があったことを心から感謝しました。

 その後、ヤコブは兄と穏やかに別れ、ペヌエルからヨルダン川を渡り、西岸のシェケムに落ち着きました。(18節)

 物事が穏やかに終結したとき、神の介入があるのです。何事もない日常生活を感謝しましょう。その背後にある、神の御顔を見上げて、神を礼拝しましょう。
 当たり前なんて、この世界に存在しないのです。主の守りと愛に包まれているのです。

 →あなたの番です。
  □低い心で、まごころからあやまりましょう。
  □あなたがエサウです。今が赦すときです。
  □守られた事を感謝し、神の御顔をあがめましょう。

創世記32:1~12 恐れと心配

 今日は、ヤコブがエサウと再会する直前の様子を見ていきましょう。

1、使者を送る

 「ヤコブはセイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使者を送った。」(創世記32:3)

 ヤコブは、覚悟ができました。もう逃げません。ヤコブは自分の方から使者を送りました。受身になっていません。一番大事な事に真正面から立ち向かう覚悟ができました。エサウに会うのです。

 使用人にエサウのことを「主人」(4節)と説明している姿を見ると、ヤコブがラバンのもとでいかに謙虚な人になったかが分かります。

 あなたにとって、エサウに会うとは、どんなことですか。ずっと逃げていた事とは何ですか。あなたにとって一番大事な事とは何ですか。神は、あなたに言われています。エサウに会いなさい。

 あなたも、まず、使者を送るという第一歩から始めましょう。スケジュールを見て、あなたの一番大事なことを優先して予定を組みましょう。お金がいるなら、まず1ドルから貯金を始めましょう。

 エサウに会うという一大イベントの前にして、誰かがそばにいてくれることが大きな励みになります。ヤコブの場合は、御使いが表れたことが大きな力になりました。

 「さてヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現われた。」(1節)

 それで、ヤコブはそこをマハナイム、つまり神の陣営と呼びました。あなたにも神の守りあります。信仰の友の励ましがあります。正面から課題に取り組み、使者を送り出しましょう。

2、不安と恐れを抱えても

 使者たちはエサウの返答を持って帰りませんでした。沈黙。それがエサウの返事でした。これほど恐ろしい返事はありません。

 「使者はヤコブのもとに帰って言った。『私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。』」(6節)

  「ヤコブは、非常に恐れ、心配した」(7節)とあります。神の導きに従ったのに、やってきたのは恐れと心配でした。ここが、信仰が試され、信仰が強められる踏ん張りどころなのです。逃げたらいけないのです。ヤコブが20年間、ラバンのもとで苦しんだのはこの時のためだったのです。ヤコブは祈りました。

 「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする。』と仰せられた主よ。」(9節)

 これは神の約束に立とうとする祈りです。危険に直面したとき、私たちも神の約束に立ち返りましょう。

 「私はあなたがしもべに賜わったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。」(10節)

 ヤコブが二番目に祈ったのは、神から受けた恵みの再確認でした。自分勝手で、押しのける者である自分を見捨てない神がおられた。そんな私にあふれるばかりの富を下さった。本来、杖一本しか持たなかった自分だった。すべては神から受けた恵みだ。そこまで考えが及ぶと、自分の財産を兄に譲渡することは、何でもないことに思えるのです。
 13~19節によれば、ヤコブは合計550頭の家畜を兄にプレゼントしたことが分かります。

 「どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。」(11節)

 この最後の部分の祈りは、純粋に、助けを求めています。あなたも、神に助けを祈りましょう。不安や恐れが襲ってきても、神の約束を思い起こし、神の恵みを感謝し、ひたすらに神の助けを求めましょう。


3、格闘

 大きなイベントの前夜というのは、不安が最高潮に達し、なかなか眠れないものです。結婚式前夜の花婿は、心配でつぶれそうになります。それで新郎(=心労)と呼ぶのですね。

 「ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。」(24節)

 この場面は、イエスさまの生涯ならば、ゲッセマネの祈りに当たります。あなたの人生にも、同じような場面があるはずです。

 兄と会うことが一番の山であり、人生最大の戦いです。けれども、本当の戦いとは自分との戦いなのです。それはまた、神との戦いと言ってもいいかもしれません。ヤコブは、自分のかたくなな自我と戦っています。捨てきれない何かを持っています。
 「ある人」はヤコブのもものつがいを打ちました。それで、ヤコブはもはや足を踏ん張ることができません。ヤコブは今まで自分のやり方で踏ん張って生きてきたのです。その要を打たれました。それが大きな転機になりました。

 「ある人」(24節)とは誰でしょう。ある人と、相撲のように取り組むことができました。会話することもできました。ヤコブに新しい名前を与えることのできる方でした。(28節)翌日ヤコブはこの夜の戦いを振り返ってこう言っています。
 「そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。『私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。』という意味である。」(30節)

 逃げていた事、一番大事な問題、和解すべき大切な相手との再会。これらと取り組むとき、私たちは自分と向き合うことになります。真剣な祈り、神との語り合い、そして、神に完全降伏する。そのとき、あなたは、神から新しい名をもらいます。神が、あなたにくださる名は何と言う名でしょう。

 翌朝、ヤコブは、エサウと会うことなど、もう何でもないことと感じていたでしょう。名誉が失われようが、財産が奪われようが、命が取られようが、それは小さなことなのです。ヤコブはエサウに会う前に完全に変えられ、輝いていました。

 「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。」(31節)

→あなたの番です。

□まず、あなたの使者を送りましょう
□ 神の導きに従うゆえの困難なら、祈って乗り越えましょう
□あなた自身が神と格闘し、神に変えていただきましょう

ヨハネ20:11~18 誰を捜しているのか

 イースターおめでとうございます。主はよみがえられました。
今日は二つの質問を手がかりに、イースターの意味を考えましょう。

1、なぜ泣いているのか

 マグダラのマリヤは、7つの悪霊を主イエスに追い出していただいた女性です。(ルカ8:1~2)。彼女は12弟子と共に旅をした女たちの一人で、実質的には女性の弟子といっても良いかもしれません。マグダラのマリヤは、主イエスが十字架で死なれる場面をじっと見つめて最期を見届けました。(マルコ15:40)
 マリヤは、人生で最悪の時を過ごしていました。主イエスが死なれたのです。無実の主イエスがむごたらしく殺されたのです。恩人が死んだのです。希望が消えうせたのです。悲しみの極みでした。

 「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」(1節)

 マグダラのマリヤが墓につくと、入り口の大きな石が取り除けられていました。中をのぞくと、主イエスの遺体がありません。ペテロとヨハネに一部始終を知らせ、二人は詳しく調べて帰りました。二人が帰った後も、マリヤは墓の外で立っていました。

 「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。」(11節)

 ふと、墓の中をのぞくと白い衣を着た人が二人いました。(12節)その二人はマリヤに語りかけました。「なぜ泣いているのですか。」(13節)

 このタイミングで、夫が妻に「なぜ泣いているのか」と尋ねたら、いっぺんで愛想をつかされますね。あなた、あっちに行って、じゃま、と言われるのがおちです。
 「なぜ~」と言う場合、理由を尋ねる場合と、もう一つの意味があります。泣く意味がない、と言いたいのです。

 あなたは、今、マグダラのマリヤと同じように、人生で最悪の状況にいますか。悲しみでつぶされそうだ。希望の火が消えた。何も考えられない。

 そんなあなたに、神が伝えたいメッセージは、<泣く必要はない>ということです。最悪と思える状況でも、泣く必要はないのです。

2、誰を捜しているのか

 人の気配がして、マリヤは後ろを振り向きました。見ず知らずの男性がそこにいて、こう言いました。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」(15節)

 同じ言葉の繰り返しは、重要なメッセージだという印です。なぜ泣いているのですか、と再びマリヤは言われました。泣く必要はないとの神のメッセージです。
 第二の質問は、「誰を捜しているのですか」です。マリヤは、誰とは答えませんでした。答えられないのです。
 マリヤが捜していたのは、<誰>ではなく、<それ>だったからです。マリヤの関心事は、生きている方ではなく、命のない遺体だったのです。

 マリヤが墓に来た目的も、遺体にすがって泣きたかった、きちんと埋葬したかったからです。マリヤは、なきがらに会いたかったのです。

 主イエスは、今日、イースターの朝、あなたに同じことを言われます。「だれを捜しているのですか。」

 あなたは、問題の解決方法を捜しているのですか。それとも、問題の解決者である主イエスを捜しているのですか。

 あなたの通っている苦しみ、家族の問題、病気、将来の不安、それらの中でただ泣くばかりのあなたに、主イエスは言っておられます。わたしがここにいると。わたしと共に進もう。わたしは、死んで、よみがえった。あなたが乗り越えられない問題はない。そうあなたにイースターのメッセージを伝えておられます。

 マリヤはその人が誰か、まったく見当がつかず、墓の管理人と思い込みます。
 「彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。」(14節)

 私たちの人生にも同じことが起こります。問題の横に主イエスがおられるのに、気づいていないのです。でも、祈りの中で、主イエスを見出すことができるのです。

 ある宣教師夫婦に子供が与えられましたが、奥さんは子宮頸がんと診断され、赤ちゃんの中絶を勧められました。信仰的な観点から中絶はできません。セカンドオピニオンでも中絶を勧められました。子供を与えてくださったのは神さまであり、奥さんの病をゆるされたのも神であるなら、神が解決を持っておられると二人は信じることにしました。中絶せず、また母親の命を守る道があるという別の医師と出会うことができ、結果的に元気に赤ちゃんは誕生し、お母さんも守られました。

 「イエスは彼女に言われた。『マリヤ。』彼女は振り向いて、ヘブル語で、『ラボニ(すなわち、先生)。』とイエスに言った。」(16節)

 なつかしい主の声、愛に満ちた声、7つの悪霊から救い出してくれた声、勇気を与えてくれた声。まぎれもなく、生きておられる主イエスだとマリヤは気づきました。

 あなたは主イエスが死からよみがえられたと信じますか。

 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

 あなたの番です。
  □泣く必要はないと主は言われます。悩みを乗り越えられると信じましょう
  □悩みの中で、解決方法でなく、解決者である主イエスを求めましょう
  □よみがえられた主イエスをたたえ、主と共に生きていきましょう

創世記31:1~13 ラバンから離れる

 決断は、あなたを成長させる。
 勇気をもって大きな決断をするとき、あなたの信仰は飛躍的に成長します。

1、時を見分ける

 月日は流れた。ヤコブは20年間ラバンの下で、ついら労働に耐えてきた。
 「私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされ、眠ることもできない有様でした。」(創世記31:40)
 14年間はラバンの二人の娘との結婚費用として、その後6年も余分に働きました。

 現代の会社風に言えば、経費はすべて自分持ち出し、不可抗力で起きた損害は自分がすべて被り、残業手当も休暇もない過労死寸前の状態と言えます。
 あなたは、今日、似たような状態にいますか。こんな会社辞めてやると言い捨てながら、毎日同じ繰り返しでいいのでしょうか。あなたの生活、仕事、スケジュールを見直しましょう。

 追い討ちをかけるように、ラバンの息子たちのヤコブへの態度が険悪になり、ラバンの態度もフレンドリーとはいえません。(1~2節)

 そんなとき、主はヤコブに語られました。
 「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」(創世記31:3)

 あなたにとって、生まれた国に帰りなさいとはどんな意味ですか。人によっては、本当に引っ越すことを意味するでしょう。ある人にとっては、自分の原点に帰ることかもしれません。人生は長くありません。主の前で悔いの残らない歩みをしましょう。

 クリスチャン青年のドゥウィット・ウォーレスは会社を解雇され、それを機会にして、心に温めていたビジネスを始めました。本の要約や心励ます記事をまとめた小さな本を出版しました。その雑誌が「リーダーズ・ダイジェスト」で、やがて世界で何億部も印刷されるまでに発展しました。ウォーレスも、主に行き先を示され、決断して祝福をつかんだ人です。

 大切な決断は、あなたがしなければいけならないのです。主の指示を仰ぎ、時を見極めましょう。大きな決断は、あなたの信仰は強めます。


2、不遇に咲いた花たち

 神は20年間沈黙しておられたが、目を閉じていたわけではありません。
 「ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。」(創世記31:12)

 不遇の20年間と思えた年月ですが、主の恵みが野の花のように咲いていることにヤコブは気づきました。

 第1の花とは、羊などの財産が飛躍的に増えたことです。「それで、この人は大いに富み、多くの群れと男女の奴隷、およびらくだと、ろばを持つようになった。」(創世記30:43)
 ヤコブは、働いた報酬としてぶち毛やまだら毛、黒毛の羊をラバンに要求しました。白い羊をもらうと、取った取らないと後で争いになるので、色のついた羊を申し出たのです。主の恵みと守りの中で、また主から頂いた知恵のおかげで、色のある羊はたいそう増えたのです。(創世記30:27~43)

 第2の花とは、大勢の子供です。ルベンからヨセフまで、結局11人の息子が生まれました。二人の妻のいさかいは絶えずヤコブも苦しみますが、これらの子供たちがユダヤ12部族の祖となったのです。神の奇しきご計画としかいえません。子孫が増えるという主の約束がこのようにして実現しました。

 苦しみの中で、知らず知らずのうちに、美しい花が咲いていることがあるのです。あなたの番です。苦痛の中で咲いた花は何ですか。悩みと辛さの中で身に付けた良き物はなんですか。


3、決意をサポートしてくださる神

 ヤコブは環境の変化に気づき、主の励ましを受け、自分で一歩を踏み出しました。ラバンに挨拶もせずに、生まれ故郷に帰ることにしました。ラバンに嫌われることを恐れません。
 あなたは、ノーと言える人ですか。多くの人は断れない自分に愛想をつかしています。あなたが恐れているのは、大好きな人に嫌われることではなく、付き合い程度の人に嫌われるのを恐れているだけです。劣悪な環境から出ましょう。ノーと言いましょう。新しい生き方を始めましょう。
 あなたを主から引き離す人、罪に誘う人、否定的にさせる人、そういう人からはきっぱりと離れましょう。

 決意をサポートしてくださる主は、ヤコブの妻たちの心を整えてくださいました。これは大きな力です。レアとラケルは、「さあ、神があなたにお告げになったすべてのことをしてください。」(16節)とヤコブの決断を支持してくれました。(創世記31:14~16)娘は自分の父を大切にするものですが、レアとラケルは父に失望しきっていたのです。

 主の第二のサポートは、ラバンに釘を刺してくださったことです。ヤコブが逃げたと知ったラバンは血相を変えて追いかけてきました。ですが、ヤコブに会う前夜、夢でラバンに忠告されました。
 「しかし神は夜、夢にアラム人ラバンに現れて言われた。『あなたはヤコブと、事の善悪について論じないように気をつけよ』」(創世記31:24)
 主からの力強いサポートでした。おかげで、ヤコブはラバンと不戦条約を結び、ご馳走を食べて平和に分かれることができました。(創世記31:43~55)

 一人の男子大学生が教授に授業後に呼ばれ、叱られたことがありました。もっと男らしくなりたまえ。答えを知っているなら、きちんと答えなさい。大学生は、私はどうしようもない人間なのです、と返事をしました。教授は、負け犬のようなことを二度と言ってはいけないと諭した後に、「君を造られた神に、私を変えてくださいと祈ってごらん」と励ましてくれました。
 大学生は、廊下を出て、長い階段を下りました。下から4段目で足を止め、言われたとおり真剣に祈りました。それが彼の人生を変えるターニングポイントになりました。この大学生の名は、ノーマン・ピール、後に牧師になり、積極的人生を語る第一人者になりました。

 主が道を示されたなら、主がその道のすべてであなたを守られます。神は、ベテルの神だからです。ベテルで約束されたことを、必ず守る神です。

 「わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油を注ぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。」(創世記31:13)

 ベテルの神を信じて、あなたも踏み出しましょう。

 あなたの番です。
  □時を見分けて、離れるときです。何から離れますか。
  □不遇に咲いた花を数え、感謝しましょう。
  □主があなたの決断を支えてくださいます。

創世記29:15~30 だまされたヤコブ

1、ラバンと会う

 ヤコブは旅を続け、ある井戸にたどり着きました。羊飼いとの会話から、そこが母の故郷カランだと分かりました。(創世記29:4)
 ヤコブは、井戸で一人の女性に出会います。その女性はラケルという名で、母の兄ラバンの娘でした。ヤコブは彼女に口づけし、声を出して泣き出すほど感激しました。(9~11節)
 ラバンはヤコブが来たと知らされると、走って迎えに行き、ヤコブを抱きしめました。(12~13節)

 神は、ベテルで約束された通り、ヤコブを守り導いてくださいました。ヤコブは、神の助けを心から感謝したことでしょう。

 私は先週の一週間をハワイで過ごしました。人生で最も苦しかった5年間、私の横にいて支えてくれたたくさんの人と再会できました。顔を見ただけで私は涙でした。ハグしただけで、何も言えなくなりました。私の涙を見て一緒に泣いてくれる人を見て、さらに私も泣きました。
 あの頃、多くのクリスチャンに支えていただきました。食事に誘ってもらいました。語り合う、祈ってくれる、そのままの私を受け入れてくれる、具体的に助けてくれる。それらの事すべてが私が受けた愛でした。こうした人々との出会いは、神の愛がどんなものか具体的に分からせて頂くかけがえのない経験になりました。

 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。」(創世記29:15)

 神は、ベテルでヤコブに約束されたことを果たしてくださいました。神は、今もあなたを守る方、あなたと共におられる方です。つまり、あなたを愛してやまない方なのです。


2、だまされたヤコブ

 最初の1ヶ月間、ヤコブはラバンのもとで仕事を手伝いました。(14節)ラバンはヤコブの労働力を評価し、長期間働いてほしいので報酬の相談をしました。ヤコブはすぐにこう答えました。「私はあなたの下の娘ラケルのために7年間あなたに仕えましょう。」(18節)

 水筒のふたをアケルとラケルを思い出し。このぶどう酒はイケルぞとラケルを想い、今日は熱くてヤケルなとラケルのことを考え、石につまずいてコケルと、ラケルの名を呼ぶという感じで、ヤコブはラケルと結婚できるのが楽しみでしょうがありません。
 「ヤコブはラケルのために7年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。」(20節)

 いよいろ結婚の祝宴が開かれました。夜明けとともにヤコブはだまされたと知りました。最初の晩を過ごした相手はラケルではなく姉のレアだったのです。

 「朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。『何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。』」(25節)

 ラバンは、ヤコブの申し出を聞いたとき、注意深く言葉を選んで答えていました。「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」(19節)
 ラバンは、ラケルと明言せずに、娘とぼやかしています。また、7年といわず、私のところにとどまれと言うにとどめました。
まるで新聞広告の下に書いてある小さい字の契約内容のようなもので、ラバンは一枚上手の詐欺師だったのです。
 レアを拒絶することは、来客への侮辱になり、既成事実もあるので結婚解消は難しく、年上の娘から結婚するのがこの地の慣わしだと言われて反論もできません。

 「この婚礼の週を過ごしなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげましょう。その代わり、あなたはもう7年間、私に仕えなければなりません。」(27節)とラバンに言われ、しぶしぶ納得しました。

 父をだまし、兄を出し抜いたヤコブが、今度は逆にだまされました。

 これは、神の与えた大切なレッスンです。だますことがどんなに大きなダメージを与えるのか。だまされることがどんなに悔しく辛い経験か。ヤコブは初めて知ったのです。

 私たちは様々な苦しみを経験します。そのごく一部に、自分の犯した罪の重さを悟るためのレッスンが含まれています。
 ヨセフの兄たちがエジプトで理不尽な扱いを受けたとき、「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。」(創世記42:21)と自分の罪を思い起こしたことに似ています。
 今、あなたも、そういう意味の苦しみにいるかもしれません。

 ヤコブは、怒りが収まった後に、こう祈ったかもしれません。「主よ。私はもっとひどいことを父や兄にしました。父と兄の気持ちがやっと分かりました。私は傲慢でした。私は自己中心でした。ごめんなさい。これからの7年間で、私を作り変えてください。」

 俳優のウォルター・ハンプデンは、最も好きな言葉を尋ねられ、古い黒人霊歌の歌詞を挙げました。
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Nobody knows my sorrow.
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Glory hallelujah

 この歌を歌った人は、出口のない苦しみと嘆きの中にいました。孤独と失望の淵にいました。けれども、突然のように、グローリー、ハレルヤと叫んでいます。信仰者だけが歌える魂の賛美です。神さま、あなただけは知っていてくれます。それで十分です。あなたは、ほめたたえるべきお方です。
 ヤコブの経験は、こうした賛美の歌が本物になるための、神からの貴重なレッスンでした。

 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
 私はそれであなたのおきてを学びました。」
 (詩篇119:71)

 あなたの番です。
  □神はあなたを守る方、共にいてくださる方です。
  □苦しみの中で、しっかり神のレッスン受けましょう。
  □苦しみの真ん中で、神の栄光をたたえましょう。